名所・旧跡(2)
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11.お薬師さん
1番組宇野e治さん方の裏、旧野見神社参道の登り口にお薬師さんが祀られている。このお薬師さんは宇野e治さんの祖先が祀られた。現在は1番組の方々により、維持されている。毎年3月の第2日曜日にはお勤めがあり、町内の方々が多く参拝されている。
12.山神
山神の石碑は宮前町の石切り場前と宇野e治さんの山、室町の秋葉さんの3ヶ所にある。昭和30年代末頃まで
「山の講」
のお祭りを旧暦の11月7日に行っていた。山神の前で火を焚き、その燠(おき)でぼた餅を焼いて食べると、無病息災でいられると信じられていた。今でも宮前町の方は祭日にぼた餅を作り、お供えされている。
*この後、宮前町の石切り場前の山神さんは平成16年5月30日秋葉さんの山神さん左横に移動された。
13.行徳寺
文明年間(1469〜1486)、三河地方行化(ぎょうけ)の浄土真宗八代目蓮如上人より「南無阿弥陀仏」の六字のお名号を受け、教願法師が山室に念仏道場を創建したのが始まりで、現在の本堂は享保五年(1720)に再建されたものです。正式な寺名は「龍休山行徳寺」です。また、現在の住職は23代目になられます。朝夕に鳴らされる梵鐘は柔らかく荘巌な響きで、時を告げています。
14.観音さん
毎年7月7日、行徳寺において観世音菩薩(通称:観音さん)のご縁起が勤まります。観世音菩薩は寺のお庫裏(くり)に安置されているため、何時もは拝見できません。
15.無縁仏
町内の各所にあった無縁仏・古墓が昭和44年8月、墓地の一角(焼き場跡)に集められ、供養をするようになった。更に昭和57年8月、有縁無縁合霊碑が新しく建てられた。町内の無縁仏の供養は旧盆前の日曜日のお墓掃除の後、毎年行われている。
16.鉄筋橋・お地蔵さん
大見川河口・鉄筋橋の脇にお地蔵さん3体と「南無阿弥陀佛」の石碑があり、近所の方が供養されている。お地蔵さんと呼ばれているが観音さんである。一番大きな観音さんは道標の台座の上に乗っており、今の所より50m程上、大見川にかかっていた木の橋のたもとにあったものである。昔の道は、この橋より吉村ハイツの裏を通り岡崎方面に通じていた。従って、岡崎方面より来ると三叉路となり「右・あすけ左・てらべ」となる。これが台座に書かれている。県道が改修された時、今の場所に移された。真ん中の観音さんは、室町1丁目の鉄塔の下の県道脇にあったものであり、詳細は不明である。もう一つの観音さんにつても不明である。「南無阿弥陀佛」の石碑は畑野さんの隣りの岩倉に通ずる旧道の道端にあったものを、10年前にここに移した。詳細については不明である。04年に7番組の近藤喜代子さんの寄進により立派なお堂が出来ました。
17.明治用水・船通し
明治39年(1906)、旧堰堤の東岸に船通し閘門(こうもん)が完成した。船通し閘門はパナマ運河と同じ構造である。水留めの上下流に両開き扉があり、その各扉に水を少しづつ出し入れする仕切り弁が付いていた。閘門内に水を溜め、堰堤を通り抜けるのに1時間前後を要した。この間、船頭さんは「明治館」「見晴屋」「入船館」で良く休息を取っていた。
18.水源・大神宮
大神宮は大正から昭和への改元を記念して昭和2年1月に造営された。祭神は天照大神宮である。当時はまだ矢作川の水運が盛んな頃で、川船を使い上下する船頭衆の守護神として祀った社であり、安全祈願や休憩所として親しまれていた。依頼、59年間の風雨で社殿が老化し、社殿を保護する外囲い・鞘堂(さやどう)は姿を消した。そこで、地元の人たちや造営当時の船頭衆の子孫らが浄財を出し合い、昭和58年11月、木造平屋建て約10uの鞘堂を復元し、昭和59年1月遷座祭を行った。昭和56年までは町内に「伊勢講」があり、代表者が伊勢神宮より御札を受けていたが、現在は、8番組(有志)が毎年1月4日に代参されている。尚、祭礼は4月の第2日曜日に行われている。
19.弘法さん
8番組.杉浦末夫さん宅前に3体の石仏(不動明王1体と弘法さん2体)が安置されている。この石仏は大神宮さんと同じ時期(昭和元年)に杉浦坂治郎さんが祀られた。3体はそれぞれ、「水運・家内安全・交通安全」の願いが込められている。元々は大神宮さんの登り口にあったが昭和30年頃、今の位置に移された。旧暦3月21日の弘法さん(弘法大師)の祥月命日には、度合町の観音院さんにお参りをして頂いている。杉浦家本家でお守りをしてみえる。
20.お地蔵さん
昭和13年頃、宇野重一さんの娘さんが交通事故で亡くなられ、その供養に立てられたそうです。(8番組.宇野透さん宅前)
21.不動明王
8番組.塩飽さん宅前にも不動明王がある。「水運の安全」を祈って立てられたと思われる。(詳細は不明)
22.水源・弘法さん
水源橋下流100m程に弘法さんが祀られている。昭和34年の伊勢湾台風までは、大神宮さんの上、現在の山菜苑への登り道あたりにあった。台風でお堂が壊れてしまってから、現在の位置に移った。お祭りは弘法さん(弘法大師)の祥月命日である、旧暦3月21日に行われている。ここの弘法さんは「願が良くかなう」と言う評判で、町外からのお参りも多い。
23.水源の桜
水源頭首工付近は、大正から昭和初期にかけ、「岡崎の花見は5万人、水源の花見は3万人」と言われ、桜の名所として今以上のにぎわいを見せたと言われています。現在も「水源桜並木」として数百本の桜が植えられ、300m程の桜のトンネルができ、毎年4月には花見の宴でにぎわいを見せています。かって、水源の桜の名所と言われた所は、現在の桜並木の場所と違って、やや下流の矢作川のえん提に植えられた数百本の桜のことを言います。桜はぼたん桜が多く、4月の10〜15日が見頃だったようです。ずいぶん古木が多く、岡崎からも帆かけ船で花見にきたと伝えられています。現在の桜は新しく植えられたもので以前のものではありません。