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人間・釈迦 人間釈迦の生まれ・生きて辿った道のりとは? | 注:これは、TVにて放映された番組を、まとめて関連のものを、忠実に編集したものです。 |
- ブッダ その大いなる真実 - |
1 はじめに:2500年前の仏教 |
仏教は |
仏教は、釈迦の説いた教えである。日本には聖徳太子が伝えたと言われている。 |
☆ 南伝仏教 | スリランカ → 東南アジア タイ(エメラルド寺院) カンボジア→ミャンマー(シェダゴン・パゴダ) |
☆ 北伝仏教 | ガンダーラ→ アフガニスタン(バーミャン遺跡)→ チベット→ 中国→朝鮮半島→ 日本に (一説には552年) |
2 人間・釈迦:::::::釈迦の誕生 |
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ガンジス川辺に住む釈迦族の王子であった。名前を、ゴータマ・シッダールタと言った。(釈迦) |
「王子は長ずれば 世界を統一する理想の主となるであろう。或いは、もし出家すれば必ずや真理に目覚めたる者・ブッダ となるであろう。年老いた私は、その姿を見ることができないことが悲しい。」 と、涙を流しつつ告げた。 |
カンハシリ(アシタ)という仙人は言った、 |
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☆ 瀬戸内寂聴の釈迦解説 「釈迦と女とこの世の苦」 によれば・・・・ 釈迦の生母:マーヤは、 貞淑で絶世の美女であったという。子どもがなかったが30歳近くになって、”白象の夢”を観て授かった。という 伝説がある。 下線部注:中村 元によると、「『スッタニパータ』にはこのような伝説は出てきていない。」と記されている。 「ブッダの生涯」 前田專學 監修 岩波書店 小さいときから憂鬱にもの思いに耽った。と、伝えられている。 |
釈迦の成育する当時は、戦乱の世。 |
次いで、瀬戸内寂聴の釈迦解説 「釈迦と女とこの世の苦」 には・・・・ ○ スッタニパータ(もっとも古い教典)によれば・・
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釈迦の后の名は、ヤショーダラ。結婚して長男を授かる。
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3 釈迦の出家 |
王: 「修行者よそなたは我がマダカ国に仕官する気はないか。 もし、そなたが望むならこのマダカ国の半分をそなたに譲ろうと思っている。」 釈迦: 「私は、釈迦族の王家に生まれました。その地位を捨てて出家したのです。 世俗の欲望をかなえるためではありません。」 「王よ。私は生老病死の苦しみを知って愕然として出家したのです。 私の、求めている道はその苦しみ の解決なのです。」 王:「いずれそなたが道を得られたその時には、 この王舎城に来て私のために教えを説くと約束してほしい。」 |
○ その後、高名な仙人を次々に訪ねた。 何事にも執着しない無念無想の境地を求めた → 座禅とよく似た禅定(ぜんじょう)をマスターする。 ○ 次にたどり着いたのは、ブッダガヤ郊外 ネーランジャラー川 のほとりの小さな村だった。 ここは、苦行修行僧達の集まるところであった。 ここでは、様々な苦行が行われていた。 断食・呼吸の抑制・不眠・不座など、極限まで自分の肉体をさいなんで行き浄化するのだ。 ここで、5人の僧と出会う。 |
○ 前正覚山がある。悟りを開く前にこもった山の意である。ここの洞窟に一体の仏像=苦行の姿。 闇の中に金色に輝く像が安置されている。 |
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○ ラホール博物館にも 釈迦苦行像 さらに苦行を深める。死の一歩手前まで・・・。一層の断食・・呼吸を止める業。 ・・・・・ 様々な苦行に努めた。 |
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4 琴の音色 と スジャータ |
「琴の音は、強くしめれば糸が切れ、弱くても音が悪い。琴は糸を中ほどに締めて初めて音色がよい。・・・」と考えながら歩き続ける釈迦は、牛の乳搾りをしていた村の娘”スジャータ”に出会う。 |
スジャータは、「一度嫁したが何かの事情で実家に戻った女性だった」と、ある調査では語られていた。 |
ここでは、「乳」であるが、乳粥であったとの説もある。釈迦が疲れ果てて背にもたれた樹は、村の民たちが食事などを捧げる”聖なる樹”であったという。 ・・・確か、中村 元 先生は対談でそう語られていたっけ。 |
釈迦は、中道の道を選んだ。 快楽にも耽らない。 苦行も極端である。しかし、極端な道を歩んだのでは、絶対真理は得られないであろう。と・・・。 中道という概念は、人類の歴史の中で釈迦が初めてたどり着いた概念である。 ・・・ 宗教評論家 ひろ さちや |
○ 5人の仲間は、見ていた。そして、彼らは、これを「釈迦は修行半ばで”堕落”した」と観た。 彼らは失望し、釈迦に向かって非難の声を浴びせて、やがてその場を立ち去った。 ○ 釈迦は、菩提樹に向かって歩む。東に向かって座る。真理を悟るまでは、このまま動かなかった。 「苦」はどこから生まれるのか? そんな釈迦に、これまでに克服したはずの様々な煩悩が襲った。 ○ 悪魔の誘惑 3人の美女( 愛欲 快楽 嫌悪 ) 3人の美女を送る。 ・・・・ 心が完全に透明で柔軟な状況に至った釈迦は、 「これらの悪魔には実体が無く ただ己の心の内を映し出しているに過ぎない」 と、いうことを完璧に見抜いていた。 しかし、尚、甘言や暴力で迫る悪魔。 「悪魔よ止めるが良い。 私はすでに生死の彼岸にいる。悪魔よ。汝は破れたり。」 |
スッタニパータ 《436〜440》 「ブッダの生涯」 中村 元 前田專學 監修 岩波書店 によると・・・・ 悪魔に対してブッダは、「おまえはいろいろ誘惑する軍隊を使っている。」 それが八つあるといいます。
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やがて夜明けになって、釈迦はゆっくり目を開けた。 その眼は、在るがままに観て、在るがままにとらえる眼であった。35才。 「観自在」 ここで、釈迦は成道する。 ブッダガヤの地であった。 ○ はじめの7日間 悟りの 満足感に浸る。 |
気が楽になったから、入滅しようと考えていた。 宗教評論家 ひろ さちや |
○ 古代インドの最高神 ブラフマン(梵天)は、「釈迦よ、人々に真理を説き賜え。」 釈迦は言った:「私の悟った真理は難解で、世の人々はそれを理解できるとは思えない。」 このままでは世は絶望と落胆で滅びてしまうと思った梵天は、尚、釈迦に・・・ |
そして、 「 みんなに楽になってもらおう。」との、慈悲心を起こす。 宗教評論家 ひろ さちや 釈迦:「我、法を説かん」 ○ 最古のヒンズー教の最大聖地: ベナレス ガンジスで沐浴 当時も、多くの宗教家が集まるところであった。 ここで、また、5人の仲間と出会う。仲間は、怪訝な顔で観る。 釈迦は、不思議な尊厳に満ちていた。仏陀となった釈迦がそこにいた。 彼らに悟りを語る。 |
悟りを語る | @ 人間生きていることそのものが、<苦>で在ることを知れ。 A <苦>の原因は欲望と執着であることを見極めよ B その原因である欲望や執着を捨て去り滅せよ。 C そのためには八つの正しい道を実践せよ。 正しいものの見方 正しいものの考え方 正しい言葉 正しい行い 正しい生活 無理のない適切な努力 決して教えを忘れず 正しい瞑想と心の解放 |
5 救済の旅が始まる。 |
@ キサー・ゴータミ という名の女 |
死んだ愛児を抱えて半狂乱になって彷徨う。わが子の死を受け入れることができない母親。生き返らせる薬を求める母親に向かって。 「材料の芥子の種をもらっておいで、その薬を作ってあげましょう。但し、今まで一度も死者を出したことのない家のものでなくてはダメだよ。」 村中を回った。しかし、今までに死者を出したことのない家など何処にもなかった。 ・・・・。母親は、やがて気づく。 「生きている子は生きていることですばらしい。死んだ子は死んだそのままで最高なのだ。 死んだ子を死んだ子としてしっかり愛することが本当の愛情。」 キサー・ゴータミ は、苦を乗り越えて釈迦の弟子となった。 |
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A チュラ・パンタカ の悟り |
二人の兄弟。兄は優秀だったが、弟は何事にも覚えが悪く修行が進まない。 それを恥じた兄は、弟に家に帰るように言う。 釈迦は、弟チュラ・パンタカに、一枚の布を渡してこう言った。 「毎日、やってきた人の履き物をぬぐいなさい。 そして必ず「塵垢を払え」と、唱えるのです。」 彼は、愚直にその教えを守った。毎日続けながら、ある日気づいた。 「本当に払わなければならないのは、人の心の塵や垢なのではないか?」と、 やがて、彼は悟りを開いた。 詩人 宮沢賢治 「アメニモマケズ カゼニモマケズ 雪ニモ 夏ノアツサニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ 瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ ヨクミキキシテワカリ ソシテワスレズ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」 「四方の何処にでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し諸々の苦難に耐えて恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め」 しばしば訪れた王舎城・竹林精舎・霊鷲山など、釈迦が瞑想した洞窟がある 祇園精舎 ******************************** ******************************** 畠中光享氏は言った。釈迦画(奈良の寺生まれの日本画家。20代からインドに放浪し、釈迦にまつわる場所をくまなく歩く。) ラージギール ・・ ここに一番長く滞在した。 彼の調査によれば・・・・ 霊鷲山(りょうじゅせん)において、法華経・無量寿経・観無量寿経が説かれた。 ・・・と言う。 |
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B 殺人鬼 アングリマーラ の改心 |
コーサラ国 舎衛城 に、殺人鬼が現れた。 町は恐怖に包まれる。 殺した人の指を首飾りにする悪党であった。いよいよ指は99本(人)に及んだ。 100人目に及ぼうとしたときに、殺人鬼は釈迦に出会った。 彼は、釈迦に斬りかかろうとするがどうしても斬りかかれなかった。 殺人鬼:「動くな 沙門(修行者)」 釈迦:「私は決して動いていない。生きとし生けるものに対する害心を捨てて停まっている。 動いているのはそなたの方なのだよ。害心に目がくらみ動転して停まれないでいる のは、そなたの方なのだよ。」 釈迦の言葉は、晴天の霹靂のように殺人鬼を打ちのめした。 地にひれ伏して叫んだ。「私を救ってください」 ・・・ 弟子にした。 どんな宿業を負った人にも慈悲心で覆った。 親鸞 「善人ナヲモテ 往生トグ イワンヤ悪人ヲヤ ・・・・。」 人は知恵や能力 努力だけでは救われない。その無力さを知り、 ○報恩寺 住職(東京都東上野)上野学園大学教授(R・C・ゼナー1913〜1970 (オックスフォード大学)に、師事しキリスト教神学 新約聖書 等を1年間学ぶ。) 板東性純氏は、親鸞聖人の「教行信証」を伝えている。 は、恩師の鈴木大拙(1870〜1966)から、下記のように毛筆で書かれた『書』を賜った。
意味は、
=『窮すれば 通ず。』・・・ということか。 今まで、絶体絶命の中で生き抜いてきた自信。この自信こそ慢心の正体なのだ。 「あたかも母が愛しき独り子に対して善き婦人であるように、いたるところで一切の生きとし生けるものに対して善き人であれ。」と、「慈悲の世界」を説いた。 |
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C プンナの覚悟 |
釈迦:「おまえが目指す国の人々は気性が荒く乱暴だそうだ。 もし殴りかかってくるようなことがあったらどうするね?」 ブンナ:「師よ。私は思うでしょう。この国の人々はよい人だ。 何故なら私を棒で殴ったりしないから・・。」と、 釈迦:「でも、棒で殴ってきたらどうするね?」 ブンナ:「私は思うでしょう。 この国の人々はよい人だ。 何故なら私を刀で斬りつけたりしないから・・。」と、 釈迦:「では、命まで奪うようなことがあったらどうするね?」 ブンナ:「師よ、世の中には自ら命を絶つ者もおり、 また死はいつか我が身に訪れます。 私は思うでしょう。 この国の人々はよい人だ。 私は我が手に刃物を取らずとも死ぬことができたと・・・。」 心がけに感心した釈迦は、「もう私にはおまえに何も教えることはない。」といって見送った。我執を離れ恨みから解放されることで得られる釈迦の絶対の慈悲。 これは今にも通じる無限の可能性と広がりを持っている。 マハトマ・ガンジー(非暴力・非服従)は、我が身を犠牲にして相手の良心に訴える方法で、インドを独立国にした。
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○ ビンビサーラ王(最大の理解者) 死去 実の王子に殺される。 ○ シャカ国滅亡 |
6 80才。 アーナンダ独りを連れて、故郷カビラバストーを目指す。 |
「アーナンダよ。 今もそして私の死後も 他を頼りとせず 誰もがただ自己と法とのみをよりどころとしなければならない。それを実践する人こそ修行僧として最高の境地にいる者なのだよ。」 |
「あぁ べーサリーは美しい。 |
○ クシナガラ・・・阿難に言う。「三ヶ月後に涅槃に入る」双樹の木の元で、 二本並んだサーラの木(沙羅双樹)の元で・・・・ |
三法印 | 諸 行 無 常 | 世はなべて移り変わるものであり |
諸 法 無 我 | 一切が我がものでないことを知れば | |
涅 槃 寂 静 | 迷いや苦しみのない心にたどり着ける | |
一 切 皆 空 | 現象世界に存在するものは、皆、実体がない。→「空」 |
佛教は、不思議な教えである。・・・・・・・ 「日本の佛典」 中公新書 55〜57頁 |
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玄奘三蔵 | イエス | 空 海 | 参考文献 | 世界観 |