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編集・管理人: 本 田 哲 康 |
ー ヘブライ人への手紙 ー 注 | |
神は、かつて予言者たちによって、 多くのかたちで,また多くのしかたで 先祖に語られたが、この終わりの時代には、 御子によって私たちに語られました。 |
注: ヘブライ人への手紙は、 教会で朗読するために 書かれたもの |
多くのかたちで また 多くのしかたで かつて 神は 語ったが 先祖たちに 予言者において、 この日々の終わりには 彼は語った 我々に 御子において。 |
注:ギリシャ語で書かれたもの であるが、ギリシャ語そのま まを語順を変えずに日本語 に置き換えたもの。 雨宮教授は「築語訳」と 称される。 |
1 3年に満たない伝導の生涯だった 短い歳月で、イエスは何をしたか? |
☆ 福音書には・・・・・ |
マタイによる | 8章の26 | 湖で、嵐を鎮める。 |
マルコによる | 6章の30 | 五千人に食べ物を与えた(五つのパンと二匹の魚) |
マタイによる | 15章の29 | 大勢の病人を癒した |
さて、 ◎ ローチェスタ大学考古学者 モルデハイ・アヴィアム氏は、 |
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◎ エルサレム大学 セイジン・コウ学長は、 |
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☆ 処刑された理由は何か? |
処刑された理由は、・・・・・イエスが、ユダヤ教の律法(トーラー)を否定したからである。 | |||||||||||||
例えば、 当時の法律によれば、「姦通(かんつう)」は死に値する重罪であった。 新約聖書の中に述べられている場面は、姦通或いは売春婦に対して、人びとの扱いはとても厳しいものであった。 だが、その状況に出会ったイエスは、
人目をはばからずに、女・売春婦そして徴税人の家にまで赴いたのであった。 そして、イエスは・・・ こんな行動を批判する者達に対して、
と、述べた。
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今もユダヤ教の律法は、ユダヤ教の人たちに尊重されている。 この中には、安息日や沐浴、断食などのユダヤ教の人たちの日々の暮らしが示されている。 ローマ人に支配されていたユダヤ達は、当時は、かたくなにこれらを守っていたのである。 |
2 処刑場へ ・・ そして十字架に架けられる。 そこまでの行程順に、イエスを追ってみよう。 |
(1) 聖墳墓教会(エル・オマリエ=イエスの裁判が開かれた場所) ・・・ここからゴルゴダの処刑場まで800m。 |
○ ここで、イエスは死刑の宣告を受けるのであった。 |
当時、祭司達は、特別の権威を持っていた。 祭司達は、豪華な家を持ち、自宅に10を越す沐浴場を持っほどに汚れを忌み嫌った。 また、病人や障害者は、自らの犯した罪や汚れから起こったものとされ「差別」されていた。 彼らは神殿にはいることさえ禁止されていた。 (病人や障害者への差別は日本にもあった。 ・・・・管理人) |
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だが、イエスは、そんな時代に、厭わずにこれらの病人達に癒しを行った。 そんなイエスは、祭司達に嫌われることになったのだ。 ペデスタの池で、多くの病人や障害者達に対して癒しを行った。 後のマザー・テレサのように、・・・。
ここ「ペデスタの池」で、眼の見えない者をも、イエスは癒した。 |
(2) むち打ちの教会 彼らは、見せしめにできるだけ、イエスを痛めつけてから十字架にかけようとしていた・・。 |
(3) イエス、十字架が重くて倒れる・・第3ステージ |
「人の子(イエス)が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で、大酒のみだ!』」と。 マタイによる福音書11章の19 |
イエスは、社会からさげすまれた人々に話しかけた。 そして・・彼らと共に飲み食いをしながら、 そこでイエスは説いたのであった。 さげすまれた人々の食事を、イエスは拒むことなく、親しみをこめて快く食べたからだった。 (当時の人びとの目からすれば、この行為は理解しがたい許せないことであった。 ・・・管理人) |
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イエスは、”汚れた人々”と共に、臆せずに彼らと同じものを食べた。 遠慮せずに食べた。 十字架を背負ったイエスに対して発せられるのは、追い討ちを掛ける、見物に集まった人々の陰口であった。 |
貧しい 未亡人の 献金 |
「言っておくが、あの人は誰よりもたくさん献金した。」 ルカによる福音書21章の1 |
「もし完全(弟子)になりたいのなら、 行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施(ほどこ)しなさい。」 マタイによる福音書19章の21 |
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アンドリュー・ カーネギー |
「『神の国は汝等の内にあり』と言うキリストの言葉が、私にとって正しい意識をもたらしたのである。天国は、過去にで もなく、また将来にでもなく、現在私たちの内にある。」 |
マザー・ テレサ |
「誰からも愛されず、必要とされないと言う心の痛み。これこそが最も辛いこと。本当の飢えなのです。パンへの飢えが あるように、豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。与えて下さい。あなたの心が痛むほどに・・・。」 |
アインシュタイン | 「私が信じるのはただ一つ、他人の為に生きる人生のみが、生きるだけの価値があるということだ。」 |
(4) 第4ステージ 母、十字架を背負うイエスを見送る。 |
イエス 誕生の こと |
婚約者の大工ヨセフが父親である。 イエス一家は洞窟に住んでいた。弟四人・妹二人。7人兄弟の長男であった。 ガリラヤ地方の人口500人程度の小さな村ナザレでイエスは生まれた。 (聖書では、ベツレヘムで生まれたことになっているがこれは疑問。ここからはこの頃の遺跡はでてこないから だ・・。) イエスとは、ヘブライ語で「神は救いなり」の意で、この名前は、当時のユダヤ人の間ではよく付けられたあり ふれた名前であった。
イエスは、幼い頃からユダヤ教の律法を学んでいた 。 その場所は、 ユダヤの会堂シナゴーグである。 それは今もある。 イエス19才の時、父親の死を迎えた。 ここで、彼に人生の転機が訪れるのであった。 彼は大工となって一家を支えることとなった。 その13年後、イエスは救世主として活躍しだすことになる。・・・。 |
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時代背景 | この頃は、クレオパトラがローマに敗れ、エジプトのプトレマイオス朝が崩壊して間もない時であった。 |
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(5) 第五ステージ イエス、シモンの助けを受ける。 |
1947年2月 | 羊飼いの少年が、クムランの洞窟(死海近く)から多数の瓶を発見した! |
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死海写本の 発見 |
タールで封印された瓶から多数の巻物が出てきたのである。 「死海写本」を発見した。 これによってイエスの生きた時代の様子が明らかになった。 資料によって検証した結果、この時代は、何度もローマ人が反乱を起こしたが、 いずれも成功せず。すべて鎮圧されたことが判明した。 彼らは、その度に鎮圧され、その末、処刑されたのであった。処刑・処刑。・・・・ ・・。この頃の世の中は暗かった。 そして、終末論が世論を巻き込んでいたのだった。・・・ 人々は希望を失い、僅かな望みを救世主に託すようになったのであった。 |
注: 救世主 → メシア(ヘブライ語) キリスト(ギリシャ語) |
「イエスが宣教を始められた時は、およそ30才だった・・・」・・・・ルカによる福音書3章の23 |
○ イエスは、ユダの荒野に赴いた。そこには、洗礼者ヨハネがいた。 (ヨハネは、エルサレムの郊外エンカレムで、祭司の子として生まれた。) |
「私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに、貴方が、私のところへ来られたのですか」と、 イエスを迎えた。 マタイによる福音書3章の13 |
○ 40日の断食をする。 ・・・・・・ この時32才。 |
”誘惑の山”でのこと・・・ |
サ タ ン | イ エ ス |
「神の子ならこの石をパンになるように命じたらどうだ?!」 聖なる都につれていって、 その時高みに連れていき 「神の子なら飛び降りたらどうだ。 神は天使を使わし、お前を守ることだろう。」 と、叫んだ。 |
「人はパンのみで生きるものではない。」 「あなたの神である主を試してはならない。」 マタイによる福音書1章の7 |
更に,サタンはイエスを伴って、一瞬のうちに世界 中を回り、その富と権力を見せて、 こうささやく 「もし、ひれ伏して私を拝むなら、 これらをみんな与えよう。」 |
「退けサタン。神である主を拝み、 ただ主に仕えよ。」 マタイによる福音書1章の10 |
ヘレンケラー | 「私たちにとって敵とはためらいです。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしか なれないのです。」 |
野口英世 |
「家が貧しくても、体が不自由でも決して失望してはならない。 人の一生の幸せも災いも自分から作るもの。 周りの人間も、周りの状況も、自分自身が作り出した影と知るべきである。」 |
(6) ヴェロニカ、イエスの顔をぬぐう 第6ステージ |
人々が驚く中、ヴェロニカは自らのハンカチでイエスの顔をぬぐうのであった。 イエスは、彼女に対し祝福の言葉を贈った。
この時、共に十字架を背負う者以外、誰もイエスに従うものは居なかった。 ◇ 荒野をでる時には、イエスに従った者は二人居た。 <その一人は、ガリラヤ出身の アンドレであった。> |
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○ 後の福音書作者 ヨハネ・・・・・ 十二使徒は、この二人から始まった。 |
長い旅の末、 故郷・ナザレに、 |
イエスは、生まれ故郷のナザレで、苦い洗礼を受けることとなった。 世俗の常識からすれば、あまりにも独走的なイエスの考えを聞いた故郷の村人達は、怒り出すので あった。 怒った村人達は、イエスを村の外へと連れだした。 そして、村はずれの崖の上からイエスを突き落とそうとした。 |
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カヴァルナウム | 難を逃れて、イエスはガリラヤ湖畔の小さな村、カヴァルナウムにやってくる。 弟子のアンドレの兄シモンが居た。
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シモンはやがて「岩」という意味のペトロと呼ばれるようになった。 彼はイエスの最も重要な弟子となる 。 |
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様々な癒(いや)しが行われた。 イエスは、「誰にも話さないように」と、厳しく伝えたが・・・しかし、大勢がそのことを聞いて、ここに押 し掛けた。 |
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ガリラヤ | ◇ ガリラヤの地で、イエスは彼の師「洗礼者ヨハネがヘロデ王に捕らえられる」との 知らせを受けた。 ◇ 世は相変わらず乱れていた。 多くの反乱が起きる中、反乱軍の兵士の中の一人の新しい弟子を迎えた。 彼は、イスカリオテ(刺客の意)のユダであった。 彼に、イエスは財務係を担当させた。 ユダは、いずれイエスがこの暗い世の反乱軍の指導者となってくれることを 夢見ていたようであった。 |
(7) 二度目に倒れる。 ローマ兵、イエスを鞭打つ。 |
◇ ここは、処刑の場所に至る最後の坂道。・・・ここは五千人に食べ物を与えた(五つのパンと二匹の魚)所だ!! |
「どうして、今の時代の者たちは”しるし(奇跡)”をほしがるのだろう。」 注:()内は、管理人の追加。 ・・・マルコによる福音書8章の12 |
「はっきり言っておく。今の時代の者達には、決してしるしは与えられない。」 |
◇ 山上の垂訓 。・・・このために、やがて多くの弟子達が離れ去り、もはや、イエスと共に歩まなくなった。 |
「心貧しい人々は幸いである。天の国はその人達のものである。」 マタイによる福音書5章の3 |
「悲しむ人たちは幸いである。その人達は慰められる。」 ・・・マタイによる福音書5章の1 |
「柔和な人々は幸いである。その人達は地を受け継ぐ。」 ・・・マタイによる福音書5章の5 |
「あなた方も聞いているとおり、『目には目を歯には歯を』と命じられている。 しかし、私は言っておく、悪人に手向かってはならない。 誰かが右の頬を打つなら、左の頬を向けなさい。 あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し敵を憎め』と命じられている。 しかし私は言っておく。敵を愛し自分を迫害するものの為に祈りなさい。」 ・・・・マタイによる福音書5章の38 |
→ 「このために多くの弟子達が離れ去り、最早(もはや)、イエスと共に歩まなくなった。」 ヨハネによる福音書6章の66 |
(8) エルサレムの娘達を慰める。そして言った。 第8ステージ |
「エルサレムの娘達よ。私の為に泣くな。むしろ自分と自分の子供達の為に泣け。」 ・・・と。 ルカによる福音書23章の28 |
◇ ここは、死を覚悟して赴(おもむ)いたエルサレムであった。 |
著名な画家によって、最後の晩餐会が描かれている。 「一体、イエスを裏切ったユダはどこに描かれているか?」…・と、推測も多い。 12人の内、四人は位置が検証されたようである。 ヨハネ |
イエス ユダ(ナンバー2の席)
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撮影:横川 誠 氏 ←パウロ(希:Paulos,英:Paul, ? - 65年?)はこの中には居ない。 イエス死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではない。 |
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注: レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」(サンタ・マリアデッレ・グラッツィエ教会とドメニコ会修道院)の絵は有名であるが、ここでは12人は横列に並んでいる。 |
◇ ユダの内心→ 「万国民の教会」マイケル・ロウム神父は、次のように推測する。 |
「ユダはイエスに政治的な力を求めていたのです。 ローマに立ち向かう救世主として、力を試したのです。」 ユダは、内心こう思ったと、推測できる。 『きっとイエスは、捕まれば今までのように何か奇跡を起こしてくれる。 そしてイエスはたやすく敵からだって逃げてくる。』 『そして、支配者ローマを滅ぼしてくれるに違いなかろう?!』 |
◇ ゲッセマネの園 ・・ ここは、晩餐をとって後、休息をとった場所だ。 それは「万国民の教会」であった。 |
この夜、 |
「あなた方は、このように僅かな一時も、私と共に目を覚ましていられなかったのか。」 |
◇ イエスを捕らえにやってくる。・・ そして、イエスは囚われの身となる。 |
(9) 三度目に倒れる。ゴルゴダノ丘(処刑の場所) |
(10) イエスは衣服をすべて剥ぎ取られた。 |
(11) 十字架に釘付けされる。 これは、イエスが「すべてを許す」事であった。 |
12時頃 |
「父よ、彼らをお許し下さい。 彼らは自分が何をしているのか分からないのです。」 ・・・・ ルカによる福音書23章の34 |
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(12) 十字架上に死す。午後3時頃。 |
解説:上智大学教授 雨宮 慧 より |
昼十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」 これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」という意味である。 - マルコによる福音書 |
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これを最後に,イエスは息をひきとった ・・・。 注:こころの時代「福音書のことば -旧約聖書から読み解く- 第1回 わたしの神、なぜわたしを見捨てたのか 解説:上智大学教授 雨宮 慧 により「築語訳」 |
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-31節 まことの神、主よ、 御手に霊をゆだねます。 わたしを贖(あがな)ってください。 |
(13) 十字架からおろされる。マリア達によって石の上で香油が塗られた。 |
(14) 墓に葬られる。 三日後、イエスは復活する。 |
3 語録: |
「私は十字架にかかったキリストこそ、神の最高の表現だと考えています。神は私たち各人の中 で、実際に日ごとに十字架にかかっていたと思うのです。」 |
ナイチンゲール 1961.11.17没 |
「キリストの静かな姿、あれほどまでに忍耐強く、やさしく、愛に満ち、そして,ののしられ、ぶたれ ても、復讐するのではなく、もう一方の頬を向けよと、弟子達に教えた。 赦しに満ちた人格は、完全な人間の美しい実例だと、私は考えていました。」 |
マハトマ・ガンジー 1991.9.15没 |
「私は弱かった。正直を言えば、死ぬことは恐怖だ。だが、信じていることのために生きなければ 、なんの価値があるだろう。」 |
キング牧師 1992.3.8没 |
「人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。」 |
山本周五郎 1996.9.8没 |
「人間は永遠の同伴者を必要としていることを、イエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみ を分かち合い、共に涙を流してくれる母のような同伴者を必要としていることを・・・。」 |
遠藤周作 1997.3.16没 |
「人間への信頼が私の希望を支えている。私は信じようと思う。 自らの苦しみを救われたが故に同じ苦しみにある人々の為に、働くことを惜しまない人間がたくさ ん見いだされるであろう事を。」 |
アルベルト・ シュバイツァー 1991.1.20没 |
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