14日目(5月4日)サマルカンド〜タシケント

 今日もよく晴れているがだんだんと暑くなって来た、8時にホテルを出発、サマルカンドを後にする
郊外に出るとポピーの花が多くなっていた、バスを止めて写真を撮る
同じようにバスが止まり、乗客が降りている、見ると日本から来たツアー、ウズベキスタンに入ってから
日本人の観光客と会うことが多くなる、

タシケントに向かう道   ポピーの群落 

9時45分、昔の関所、山と山が接してせまくなっている、この岩山の所で写真ストップ、
この地区に入ると沿道では蜂蜜やイチゴを売っている、でもこの蜂蜜は純粋の物ではないとか・・・
また、沿道の食堂は中に入るとメニューには値段か書いてない、値段は?・・・・時価?ではなくてお客さんを見て値段を決めるとか・・・・金持ちは高く請求する・・・・・・・・理由は、いちげんさんでもう来ないだろうから・・・

 所変われば商売のやり方も違う、道路の下にはサンザル川が流れている
山を越えると平野になり、線路が続いている、その線路の向こうのくぼ地で青空トイレ
ここで今まで良く見たピンクの花が咲いている、エリカの花に似ているがなんの花だろう?・・・

昔の関所 エリカの花??かな 日本人墓地

 シルダリア川を渡る、この頃になると警察官の姿が多くなり、検問も・・・・・・車も多くなる
バスが故障する、ベルトが切れそうになり、バスに積んでいた予備のベルトと取り替える、
バスの中には修理一式積んでいそうな感じ・・・・15分ほどで修理完了

 1時55分、昼食の為に沿道のレストランへ、二階に上がって中華料理を、・・食後レストランの1階で
食料品などを売っている、覗いてみると、杏の種の中の実だけが袋に入って売っている、
20粒ほど入って10円、10袋買うが全部で100円、皆もまとめて買う。この店の杏の実を買い占めて
しまうほど・・・・

 15時15分、タシケントの町に入る、中央アジア最大の都市、高層の建物も多く、車も多い
信号・・・・日本のと違う、青から黄色になり赤になるのは一緒でが、赤から黄色になり青になる、
日本だと赤から青に変わり、黄色にはならない、黄色の時、反対の信号は何色になっているのだろう?

 3時30分、タシケントの日本人墓地へ、第二次世界大戦の時、ソビエトに抑留された人達が
このタシケントで働かされていて亡くなった人達、こんなに遠くで・・・・きっと日本へ帰りたかったで
あろうに・・・・・・・まさか、この地で日本人墓地をお参りするとは思わなかった

 有志の方が花を供え、墓に水をかけて冥福をお祈りする、
日本人墓地はここも含めて2〜3箇所あるという、それだけたくさんの人達がこの地へ流されていた

 4時10分、工芸博物館へ、博物館の中ではテレビの撮影が行われていて、きれいなモデルさんたち
がいる、男性陣は早速モデルさん達と一緒に写真に収まっている、
この博物館にはスザニがたくさんある、古いスザニから現在の新しいスザニまで、
やはり、工芸館にあるような物、ステッチも細かくてデザインも斬新である、

古いスザニ 新しいスザニ

 この博物館はロシア公使の私邸として使われていたので部屋の装飾などはきれい、応接間や図書館
の使っていた家具などを見る、

 ここで1時間ほど過ごすが、暑い、ここでは今はこんな陽気であろうか・・・湿気があり蒸し暑い
5時15分、アミール・チムール広場へ、ここにはチムールの像があり、市民の憩う公園になっている
人が多い、暑いのとで少し歩くだけで疲れる、

 後は今晩泊まるホテルの近くにあるオペラ劇場ナヴォイ劇場へ、この劇場は日本人捕虜たちが
建築した建物で、地震があった時もびくともしなかったとか、一日15時間も働かされながら
この劇場を作った人々に思いをはせる、数百人が働いていたと言う

日本人が作ったナヴォイ劇場 チムールの像 夕食のレストラン

 5時、前にも泊まったメリディアンホテルに到着、部屋に入り一息ついた後、夕食のレストラン
へ向かう、今晩の夕食は市内のバホールレストラン
きれいなレストランであるがお客は私たちと5〜6人ほどしかいない、

 メニューはサラダ、かぼちゃのスープ、カサンケバム(鳥の揚げた物)アイスクリーム
8時15分、ホテルに帰る、今晩が中央アジアでの最後の夜、


         15、16日目(5月5、6、日)タシケント〜成田〜名古屋 
 
今日が帰国日、朝が早いので朝食はロビーでパンと紅茶で済ます、前のこのホテルに泊まった時
同じ用にパンと紅茶の朝食だった、5星ホテルの朝食は一度も食べる事も無く終わる

 5時半にホテルを出発、5時45分にタシケント空港に到着、チックイン、しかし、延々と待つ
ゲートを通り、バスに乗り、機内へ、8時5分、タシケントを後にする、長〜い旅の始まり

 離陸すると直ぐに映画が始まる、従って窓は塞ぐ、きっと天山山脈が見えているだろうに・・・
窓際の席ではないので残念、飛行機は満席である、
後は退屈な時間、映画を3本見て、食事をして、軽食がでる、19時55分、定刻通り成田空港に
到着、
 
 飛行機は成田から関空へ行くが、関空到着が遅いために成田で降りる、荷物を受け取り解散
15日間、一緒だったツアーの人達と又の再会を願って別れる
東京駅からはムーンライトナガラに乗り、名古屋に付いたのは朝の6時、後は家まで

 今回は一番長い旅行、やはり疲れた、年と共に体力が落ちているのがわかる、
今の内に行っておかなくては・・・・・とあせる気持ち、久しぶりに畳の上で寝る

 行きたい、行きたいと長年願ったシルクロードの旅、中国からローマの道のほんの一部を旅した
だけであるが、満足の旅であった、後は中国のシルクロードを・・・と願っているが何時になるやら

 また、この旅で旅行中行った場所や食事のメニューなど細かく書いて渡して下さった添乗員
この旅行記を書くにあたり、参考資料とさせていただきました、
感謝と共にこれからのご活躍をお祈りしております、(アヒルおばさん)