ちだっちと乗り物


   まず1位にベトナムを挙げているが、これは私が始めて海外という地へ足を踏み入れたからかもしれない。それを差し引いても今までの価値観から比較すると衝撃が自分の中を貫通した。何がすごいか?といわれると一言で述べることはできない。たくさんあったのだが、たとえば自動車がほとんど走っていないということについてここでは述べていきたい。日本での自動車と二輪車の比率がそのまま反転した感じで二輪車が街を縦横無尽に走っていた。日本のように綺麗な物はほとんどなく、たいていはさびだらけ、傷だらけ、動けばそれでよし、というものばかりで、そんなバイクにあらゆるものを乗せて次々と私の前に現れては去っていく。あるときはそれがちょっとした荷物だったりする。大きな飲料用の氷だったりするときもあり、またあるときは絞めた鶏20羽ほどだったりする。もちろん人間を乗せていることも多いのだが2人ばかりではなく、一家4人で乗っている、ということは日常茶飯事。座席にお父さん、荷台にお母さん、その後ろに子供が2人、前のかごに一人、そしてお父さんとハンドルの間にまた一人の計6人乗車というサーカス顔負けの離れ業をなしているバイクもいた。そう、ここは二輪車を日本の乗用車のように扱っているところなのである。マイカーならぬ「マイバイク」なのだ。
   
それ以上に驚くべきことはまだたくさんあるのだがここで触れていると永久に終わることができないのでほかのところで取り上げていこうと思う。続いて第2位のタイについてだが、やはりトゥクトゥクがふさわしいと思う。初めて聞いた方もお見えかもしれないが、一言でいえばタクシーのことである。ただし普通のものとは違い、2サイクルエンジンを搭載した、オート三輪のような乗り物の荷台に乗って(一応ベンチのような座席がついている)移動するのが一般的なスタイルである。実際に乗ってみると風きり音と「パンパン」となる2スト独特のエンジン音で少々うるさいが、それがまた旅情をそそらせてくれる素朴な乗り物である。ただし長時間乗ると排ガスで顔が真っ黒になってしまう、という欠点もあることはある・・・。
  
 第3位はフィリピンのジプニー。これはフィリピン独自の乗り物で、ジープを強引に15人乗りくらいに改造したのもである。かなりいろいろなカラーリングがあり、「派手」の一言に尽きる。メッキを多用しており、フロントのボンネット部に小さな馬の模型を取り付けてあるものも多いからだと思われる。後ろのシートは対座型になっており、たくさん乗ってもいいようにつり革が装備してある。
   乗り方は非常に簡単で、行き先がフロントに書いてあるのでそれを確認してから手を挙げるなりして止める、降りたいときは「バラ」(タガログ語で止めてという意)と大声で言う、ただこれだけしかない。お金は動き出したら隣の人にバケツリレーのごとく手渡しで運転手に渡し、おつりもその反対の過程を経てもどってくるというなんともアバウトなシステムになっている。値段も安く、終点まで乗っても日本円にして10円もいかない、ということが素敵なところである。ラジオや音楽を大音量で流しながら爆走するジプニーもたくさんいるのでなかなかにぎやかな乗り物だ。
   バギオで黄色いジプニーに乗ったときにビートルズが流れていた。このレトロで独特な雰囲気を持った街でビートルズを聴き、残りのお客さんは全部フィリピン人、少し黄色く色づいた太陽に照らされて熱気のこもった空間はまちがいなく60年代そのものであり、その雰囲気に浸りきった私は陶酔という世界にしばし惹きこまれていった・・・。

  第4位、5位ではともに自家用車を挙げている。この二国はともに現在モータリゼーションが到来した日本のような雰囲気である。ただ、韓国のほうは日本車をほとんど見かけることはなく(正確には三菱をライセンス生産をしたような感じのものは多かったが)、ヒュンダイ、大宇(DAEWOO)、起亜(KIA)といった韓国のメーカーを当たり前であるがよく見かけた。いまでこそヒュンダイはTVCFで日本でも認知されつつあるが、私が行ってきたときはまだ認知度も低くものめずらしかった。これだけ日本のメーカーが進出できていない国も珍しい。どこの国にも日本車だけはよく見かけると思っていたが、そんな思いはここ韓国で見事に打ち砕かれ軽いカルチャーショックを覚えるのだった。
   マレーシアに関してはまあ、ごく普通のものが走っていたが、マラッカのような地方都市に出掛けるととんでもなく古い車が当たり前のように現役で活躍している。例えばカローラを例に挙げてみると、30系(昭和40年代終焉〜50年代前半のもの)が主流であり、20系もしばしば走っていた。1台だけガレージに4ドアの10系(初代、昭和40年代前半)がおいてあるのを発見した。トラックに関しても、1940年代くらいに製造されたと思われるフォードのボンネットトラックや日野のボンネットがいまだに現役という状況だった。町全体が博物館のようであり、いわゆるQ車マニアの私にとっては天国のようなところであった。勿論最新式の自動車も走ってはいるが、まさにタイムスリップ!現代と過去が混在するパラドックスが存在すると仮定すればここはその入り口であり、またその世界の一部であると私は考える。

  長々と書いてしまったが、人と乗り物との関係は切っても切れない縁である。そんな癒着した「縁」を観察し、じっくりと堪能するのもまた旅の楽しみの一つである。今後の旅においても私は、「どんな乗り物に出会うのだろうか」、ということを楽しんで出掛けて生きたい。

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