トラベルはトラブル(マレーシア)
いま現在までに(2003年)私は国内外を含めて様々な場所を訪れてきた。勿論地球規模で考えてみると今までに訪れた国はせいぜい十数カ国にすぎず滞在日数も長いとはいえないが、ごく標準的な日本人という観点から今のようなことを書いてみたのである。今後も死を迎えるまでに訪れたいところは数多くあり、またたくさんの良き人々にも出会いたいのでお金と時間が続く限りどんなに短くてもいいので「たび」と呼べる行為をしていきたい。
話が少し横にそれてしまったので元に戻そうと思うが、私が生まれて初めて海外に足を入れた国はマレーシアである。「なぜマレーシアなのか?」と聞かれると困ってしまうが結論から述べると成り行きである。当時の自分を振り返ってみると本当はヨーロッパに行きたかったのだと思う。モロッコとかトルコといった国にも訪れてみたかった。しかし正直に告白をしてしまうとそこまで行く勇気がなかったのである。もっと正確に表現すると一人で行動をすることが怖かったのだ。今思うとすごく恥ずかしい理由でこの場で公開することすらはばかられる。だから今回の旅についても三人で行く予定であった。「であった」、という表現にあえてしたのは結局一人で行く羽目になったからである。
今回の旅の目的は卒業旅行であり、TとTさん(二人は別の人物)とアジア方面に行くことを考えていた。Tが、「金がないからとにかく安いところがいい」と言ってきたので東南アジアに行くことに決定した。そして僕の「ヴェトナムに行こう」という一声で決まった。その後航空券を確保しようと僕とTさんでH○Sに出掛けて安いチケットを探しに行ったところマレーシア航空でマレーシアとタイにストップオーバーも可能ということを知ってマレーシア、ヴェトナム、タイの3カ国に行くことになった。ここまでは順調に行ったのだが出発前にTの親族が亡くなったので、Tはこの旅を辞退し、肝心なTさんもなんと出発直前にインフルエンザになってしまい渡航不能になってしまった。このことをふまえて僕も旅を取りやめようかと考えたが、格安航空券は払い戻しができず、すでに購入しているので結局独りで行くことにした。「ちだくんだったら大丈夫だよね!」という笑顔の一言が私にとっては断崖絶壁から突き落とされた気分になった。
独りぼっちで、しかも英語の勉強も大学4年になってからほとんど行なっていなかったのでとても心もとない状態のまま飛行機に乗り込んだ。私の不安とは裏腹に飛行機は順調にマレーシアに向かって飛行を続けている。しかしはじめての飛行機という好奇心が勝って、そして隣に座っていた人が海外事情について丁寧に教えてくれたので少し余裕も出てきた。窓から見える空の青さと雲の形の美しさに感動してみたり、読書をしたり酒を飲んだりして時を過ごした。
そうこうしているうちに飛行機はクアラルンプールに到着してしまった。かなり大きな空港で森をイメージしている特徴のある屋根が印象深い。が、大きくてイミグレーションがどこにあるかわからなくなってしまった。他の人についていけばよかったのだが地図を見て自分の力でたどり着こうとしたのが間違いの元だった。結局空港の中を一時間近くさまよった挙句にイミグレーションまでついた。到着ロビーに着くと閑散としていてそとは暗くなっていた。「一世一代の大ピンチ!」、少なくともこのときはそう思った。ちょっと話しかけても自分の英語は相手に通じなく、向こうの人の言葉も理解できないので途方にくれてしまった。もう少し英語を勉強しておけばよかったとこの時はかなり後悔したように思う。まさに後悔先立たず。パニックと呼ぶにふさわしい状態に私は陥ったのである。
それでもなんとか落ち着きを取り戻しまずは現金を確保しなければと思い両替をしに行った。T/Cで持ってきたのでパスポートの提示が必要だったが、パスポートを落としたら大変だと思いコピーを見せてしまい向こうの人はあっけにとられていた。馬鹿である。その後パスポートを見せて事なきを得たが恥ずかしかった。
現金も確保できたのでこのままクアラルンプールに行こうと思ったが外はすでに真っ暗で、しかも空港から街までは25キロくらいあり、交通手段もまったくわからなく、またTさんが、「夜に着いたら街に行かないで空港のホテルに泊まったほうが無難」ということを言っていたので一時間くらいさまよいながら今後の行き先について考えた挙句空港の隣にあるホテルに泊まることにした。妙に玄関が大きく、かなり高級な雰囲気が漂っていて、バックパッカー風の格好をしていた私は明らかに場違いであったが意を決してフロントに行くことにした。一応笑顔で対応してくれたが変なものを見るような目で見ていた気がしないでもない。シングルルームが開いていると聞いたので早速チェックインをして、値段を聞いてみたところなんとUS130ドルといわれてしまった。どうせアジアだから大してお金は要らないだろうと思って50ドル分しか交換していなかったので早くもピンチに陥ってしまった。あきらめて立ち去ろうとしたらフロントのお姉さんが100ドルにまけてくれた。T/Cでも可とのことなのでT/Cで支払いカードキーを受け取った。
異国のカルチャーショックとやるせなさに打ちのめされてエレベーターに乗って部屋に入ってまたビックリした。部屋の間取りが小学校の教室一つ分くらいあったからである。風呂場にいってみたら二人くらい入れそうな浴槽だったしベットにしても日本のダブルベットのようなものが二つ引っ付いておいてあった。机に置いてあった案内を見てからここが結構高級なPanPacificホテルであることを初めてめて知った。かなりの出費に落ち込んでしまったがもう泊まってしまった以上は楽しもうと思って湯船にお湯を張って泡風呂にしてみたりしてみたがどことなくむなしさだけが残った。食事もいくらかかるかわからなかったので結局ホテルからは一歩も出ないでご飯抜きという最悪の結果になってしまった・・・。
今思うとかなり恥ずかしい失敗ばかりで赤面してしまいそうなものバカリである。英和辞典一冊だけ持っていけばなんとかんるだろうという甘い考えが引き起こしたとんでもないまちがいであったと思う。しかしこのときの苦労が今の私を形作っていったのもまた事実である。このときから比べると旅に関してはずいぶんと図太くなり、またピンチになっても少しは冷静でいられるようになった。旅は人生によくたとえられるが、旅に関してトラブルだらけの私としてはまさにそのとおりだと思う。