アジア的安宿のススメ(沖縄県)




   旅と宿泊は往々にして切っても切れない縁がある。日帰りや野宿、車中泊を別にするとたいていはホテルなどといった「宿泊施設」にお世話になるがかなり奥が深いということも事実である。極論を言ってしまうと宿の良し悪しで旅の印象が大きく変化してしまうからなのだが、一口に「宿」といっても実に一泊何十万円という超豪華なところから何百円くらいのところまで星の数ほど存在する。またその内容もカプセルホテルからスイートルームまで多種多様であり、「素晴らしい所だ!」と感じる基準は個人差があるので特に言及するつもりはない。要はその人が「居心地がいい」と感じることが出来ればそこは良い宿なのである。従って値段が高いから素晴らしいと言うわけでもなく、激安でボロい所でも涙が出るほどの感動を与えてくれる宿もあるので旅立った時は宿泊先をまず考えてしまう。私の旅を振り返ってみるとゴキブリの巣になっていたりドミトリーで女の子と共同部屋になっていたが朝起きたら堂々と目の前で着替えていたりと驚きの連続なのだが、さすがにこういうところは海外のほうが(特にアジアが)圧倒的に多い。日本でこのようなアクロバティック?な宿があったらたちまちマスコミに取り上げられる気もするがこれを読んでいる皆さん!、実は日本にもこれに負けず劣らずの宿が意外にあるんですよ!!

   前置きが長くなってしまったが沖縄のとある島でのことである。古い町並みが気に入って一泊することにしたが、あいにく宿の情報を持ち合わせていなかったので途方にくれていた。信号待ちでふと電柱を見ると、「一泊1800円」という広告が目に飛び込んできた。トロピカルなイメージでデザインされたこの広告は正直に言うと怪しさ満点だったが面白そうだったので行ってみることにした。デジカメで地図を撮影してそれを頼りに同じような道を30分くらい行ったり来たりしてようやくそこにたどり着いた。一見するとコンクリートの平屋建てでうなぎの寝床の様である。宿というよりは何かの事務所の様に見えるところがなんというか、この宿の雰囲気をすでに主張している。なにわナンバーがついたオフロードのバイクはなせか後輪がなく錆びたチェーンがだらりと垂れていて、その近くには漁で使うブイが転がっていた。付近にはそれらしい建物は他になく、玄関と思しきドアの周りには例のトロピカルなデザインで書かれた文字が並んでいた。散々迷って窓から中の様子を確認したが汚れていてよく見えなかったので意を決して入ってみることにした。
 
   引き戸になっているドアを開けると男が3人程座っており、沖縄の伝統楽器である三線を弾いているのが目に入ってきた。私が入ってきたことなど気がついていないかのごとく「島唄」を歌っている。一瞬にして引き返したい気分になったが、他に知っている宿もなくハニワ顔になりながらも彼らの近くにある無人のレセプションらしき場にへ行き誰かが来るのを待っていた。一分くらいしてふいに三線の音が止み、「何か御用ですが?」と彼らの一人が声を掛け近づいてきた。ここに泊まりたい旨を告げるとこの黒ぶちのめがねを掛け、頭にタオルを巻いたかなり長髪の男がレセプションのイスに座り書類を出し始めた。なんと彼がここのスタッフだったのである。ハニワ顔が解けないまま手続きが終わるとタオルの男はカセットテープに録音されたかのような口調で(表現古いかな)注意事項を説明しながら部屋や設備を案内してくれた。「黒ぶち君」についていろいろ見て回ったが外見の期待を裏切ることのない造りである。玄関と談話室は外とは違い木造になっていて、床の一部はサンゴの死骸が敷かれている。蔵書やらソファーやらが白熱灯に照らされているのもここのどこか退廃的な雰囲気作りに一役買っているようだ。目の前のソファーではカップルらしき2人が乳繰り合っていた。トイレはこの建物から50メートルくらい離れた所に独立しており、迷彩色を施してあるが黄緑色を基調としているためどちらかといえば爬虫類を連想させる感じである。トイレの近くにはブランコと直径1メートルくらいありそうなシャコ貝の殻が転がっていた。そのの近くにはオープンデッキの台所があったがこれがまた激しく汚い。一瞬もう使っていないのかと思ったが、冷蔵庫を開けると調味料やジュースが入っていたのでどうやら現役で使っているらしい。そしてこの談話室や台所群を越えると大部屋があり、この手の宿にはお約束のドミトリーが並んでいた。時々床が腐っていて踏み抜きそうな場所には説明時に注意があった。20分くらい部屋を回って一通り説明が終わったのでとりあえずベッドに寝転んでみた。疲れのせいか思わず「ボーっ」となってしまったがシーツその他は清潔で居心地も悪くない。なぜか天蓋つきで、その布をサンゴの枝に結わえるという贅沢な造りで、大型の扇風機が無造作に置いてある。隣人の洗濯物や大きなザックを見ていると例え日程は短くても自分が長旅をしているかのような錯覚を覚えてしまう。悪くはない感情である。

    

第2部へつづく