Go Go 夜市(イエシー)



    アジアの夜は長い。それはここ台湾でも決して例外ではない。夕方くらいから活気付き、その喧騒は深夜にまで及ぶことも日常のことである。このみなぎる活気の基をたどっていくと店の多さにある。何時になっても当たり前のように開いており、その業種は多岐多様にわたる。台湾では通りの一角にそのような夜店が並んでいるところが点在しているがそれを夜市(イエシー)と呼んでいる。夜市を実際に覗いて見ると実にいろいろな店がある。食べ物は勿論、的屋や動物を売っていたりする日本の縁日のようなものもあればカバンやCDのような実用品を販売していたりと星の数ほどのお店が並ぶ所も少なくない。 

    今回私が実際に立ち寄ってきたところは高雄にある六合夜市という所である。歩行者天国のような所を一歩入るとその一角だけ裸電球でぼうっと麦色の光を放っており、どことなく日本の縁日みたいで心踊らされるものがある。そして様々な匂いがそこにはあった。発行させた豆腐を焼いて食べる「臭豆腐」や、鴨?の頭だけを焼いてくしに刺してあるものなど不思議があるかと思えば「日式」と銘うった日本風の何かを売っているところもある(どこが日本風だか分からない謎の食べ物もときどき売っていることもあるが)。中には「下水湯」という看板があり、日本語の意味のままで考えると気持ち悪くなるようなものもあった。

    そのようなところを人の山を掻き分けて、というほどでもないが通り抜けていく人々に顔を向けてみると、なぜかみんなの顔が晴れやかな感じがした。日本の都会で良く見るような魚が腐ったような目ではなく、どことなく輝きを瞳の中に秘めているようだ。これがやはり夜市の力なのであろうか?実際に、そこを歩いていた私も決して悪い印象はなく、むしろ心の奥になにやら楽しい感情を抱いたくらいなのだからその影響力は計り知れないものがある。しかし、そんな中で出くわした一頭の犬の目を私は忘れることができない。彼はとある屋台にじいっと「伏せ」をしていた。なにやら服のようなものを身にまとっているところを見るとどうやら飼われているか、捨て犬なりにかわいがられているようである。屋台のおばさんがなにやらがなりながら彼に肉の骨のようなものを投げた。彼はゆっくりとその骨のところに移動をして「おすわり」をして匂いをかいでいた。その光景が面白くてカメラを取り出しファインダーを覗いてピントを合わせていたときにちらっと彼はこちらのレンズをのぞきこんでお互いに目があった。それは下からのぞきこむような目で何かを訴えるようなまなざしにも見えた。口元はややほころびかけているので「やったぜ」、という気持ちにも捉えられるし、「俺の人生ってなんなんだろう?」と問いかけているようにも見えた。そのときにシャッターを押した一枚が今手元にあるのだが、これを見るたびに私はあの心からうれしそうな人々と、訴えるようなまなざしを投げかけてきた犬の不思議な表情が交互に私の心に現れて、世の中のカオスについて考えさせられてしまう。   



                        夜店にいた犬(オリンパス35DC)

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