国境を思ふ(シンガポール・マレーシア)
(ジョホールバルよりシンガポールを望む)
国境を越える、ということについては以前から憧れを抱いていた。特に歩いて隣の国家へ進入するという島国に住んでいる私からみるとかなり異質な体験を自分の肌で、足で、目で、そして耳でもって感じてみたかったのである。この越境願望の発端はやはり沢木耕太郎の「深夜特急」によるところが大きい。彼のバスを通じて自分の感覚で地球の大きさを量り知ろうとしたその感情を自分も共感してみたいとこの本を読んで思ったのは大学4年の時のことだ。
このときの私はひたすら国内を渡り歩いていた。北は北海道、南は小笠原まで見て周ったのだが、なんとなくどこの地域も似たり寄ったりな気がしてしまっていた。勿論地域によって大きな隔たりがあることは事実だが、考えの浅い学生だったが故表面的な部分しか見抜けなかったことが今から思うと残念である。また、「海外に出る前にまず日本から」とか「日本を知らぬまま海外に出てもその地域の文化を知ることはできない」などとかっこいい言い訳を考え付いて、海外に出て行こうとする欲求を心の中に押さえ込んでいた自分もいた。要するに恥ずかしながら海外に出て旅をすることが怖かったのである。しかし怖いながらも旅への欲求は存在していたので、頭の中には机上の案はたくさんあった。ヨーロッパに行きたい、モロッコなんかも捨てがたい、などとタダ漠然と考えていたに過ぎない項目の一つにこの「越境」があった気がする。
大学を卒業して幾年かが過ぎてようやくそのチャンスがめぐってきたのが今回の旅である。「国境を越えるんだ」という躍動感は心の中に確かに存在はしていたが、いざ国境まできてみると何もかも普通であった。イミグレーションが2つあるという点が予想外ではあったがあとはいたって普通に手続きが終わって気が付いたらもう隣国に入っていた。ただ、マレーシアに関してはいささか大雑把なところがあり道を間違えて危うく密入国しそうになったくらいだ。出国に関してもたやすく脱出できそうである。その分シンガポール側がしっかりしているので釣り合いが取れているのかもしれない。
この2国を結ぶ国境に関しての概要は以上である。2国の間は橋の様な(今回の場所は埋め立ててある)道路があり、そこを車、電車、歩行者が往来しているのだが、越境が実に日常的な行為であることが面白かった。車やバイクでやってきた人々は日本のインターチェンジの様なところに一時停止をして簡単な手続きだけで越えることができる。考えてみればシンガポールの巨大な経済力、流通力がマレーシアの人々にも多大な影響を与えているのは至極当然なことで、それゆえマレーシア側からシンガポールへ通勤している人も多く、その逆も多い。トラックによる物資の移動もまた大量にある。朝夕のラッシュ時には歩道は人であふれかえり(朝はシンガポール、夕方はマレーシア方面)道路も常に渋滞している。このような日常の中を私は非日常な姿で、また思考で越境という楽しさをかみ締めつつイミグレーションへ向かって行った。
番外編
マレーシア側からイミグレーションを抜ていくと妙なかごが3つくらい置いてあったので何気なく覗いてみると、なんとEDカードの束が山積みになっていた。せっかく苦労して書いているのにこんなに無造作に捨てられているのを見ると複雑な気分になってしまう。私が持ち出そうとしたら簡単に持ち出せそうな雰囲気であった。これでは個人情報が簡単に漏洩してしまう恐れがあるのでせめて一般人の人目につかないところにおいて欲しいものである。。