情熱のバラ(大正村)
「バラ」って何なんだ?って思う人は多いかもしれない。答えはバイクのことである。正確にいうと50ccの原付で、スズキ「薔薇」というスクーターのことだ。シートはびりびりに破れ、さびだらけ、方向指示器は出ず、3,5馬力という非力なエンジンのせいで55キロしか出ない、籠付で当時のおばさんカラーである赤色という、いま思い返してみると「よくこんなものに乗っていたなあ?」、と恥ずかしさのあまり赤面してしまいそうになる。しかし、その当時は恥ずかしいながらも自分の手で思い通りに操ることのできる唯一のエンジン付の乗り物であったのでまあまあ喜んで乗っていた。
16歳で学校には内緒で同じクラスのHと共に免許をとりに行って以来、家の裏にほかってあったこの「バラ」をしばし拝借しては乗り回していた。当時の友達であったY、H(先ほどとは別の人物)とともに豊田市界隈を走り回ったり、受験勉強の合間に山を走ったりする爽快感は筆舌に尽くしがたい。おそらく私が今後どんなにすばらしいバイクを手に入れて走らせてもこのような感動は二度と戻ってこないと思う。16、17歳にとってのバイクとはそのような特別の、神がかり的な思いをも運んでくれる物だと私は考える。
高校を卒業してもしばらくはこの「バラ」でがんばっていた。この当時はホンダ「モンキー」がこの上なくほしかったがバイトもしていないのでお金はなく、また買ってくれるわけでもないので、「まあ、指しあたって」、と言う感じでもあった。しかし通学に使っているうちに、我がバラ号は雨が降るとエンストしてしまうという欠陥があることに気がついた。プラグコードから漏電している感じであったが、当時はそんな知識は持ち合わせていなくただ運を天にまかせてキックを力いっぱい蹴って気合でエンジンを掛けていた。(その後漏電に気がついてコードの周りにアルミホイルを巻いてみたが決定的な効果は見られなかった)
とあるゴールデンウィークの日、近所に住んでいるY(これも先ほどとは違う)から電話がかかってきて、「バイト料を取りに行くのでついてきてほしい」、ということを聞きまあ暇だった事とバイクに乗りたいという2つの理由からついて行くことにした。その日はあいにくの雨で、「止まるのではないか?」、という心配も頭をよぎったがまあ大丈夫だろうという安易な気持ちでついて行った。だがいざついていくと手違いでYのバイト料はもらえず無駄足に終わってしまった。仕方がないのでツーリングに行こうということで話が決まり、一路矢作ダム方面まで足を伸ばすことにした。雨の中をもろともせずにどんどん進んでいったのは若さとしか言いようがないのかもしれないが、肝心のバイクのほうはかなりのご高齢であった。Yの原付はホンダのLiveDioで、当時の最新モデルであったのでまあそんな心配はなかったがちだっち率いる「バラ号」は爆弾を抱えて走る気分であった。
出発して30キロ程走った辺りからエンジンの吹けが悪くなって様子がおかしくなり、小渡(おど:愛知県のはずれの方面)のスタンドの前でついにエンストしてしまった。スタンドが目の前だから助かったと思いきや田舎なので休みになっていて再び目の前が暗くなった。30分くらい放っておけばまたエンジンは掛かると思うので心配はなかったが、事情をしらないYはなんだか途方にくれていた・・・。ただそんな暗い気持ちの中でスタンドから見た雨の風景はどことなく情緒的な雰囲気を私たちにもたらした。しとしと降る雨の向こうには矢作川の澄んだ流れが見え時の流れがしばし遅くなったような気がした。今思えばこのひとときが旅のすばらしさを見出した瞬間なのかもしれない。
その後は?というと予測どおりエンジンは息を吹き返し何事もなかったように走り出した。矢作ダムを越えて、大正村に無事に到着。そしてなんなく帰ってこれた。なんだか書いていてもかっこ悪い過去がよみがえってきて恥ずかしい気分ではあるが、同時に当時の乗り物に対するあこがれもまた人一倍強かった自分を思い出した。将来のこともろくに考えない(今も変わらないが)くせに、ほしいバイクや車のことは誰よりも考えていた気がする。当時の情熱の強さと、有り余る体力、行き所のないフラストレーションこそはまさにハイティーンの頃にしか持ち合わせないものであると私は思う。いま私はVFRというバイクを持っているが、そこまでの情熱はもう持ち合わせてはいない。失った時を取り戻すことはできないが、できることならあの頃の瑞々しい10代に戻ってみたい。しかし、あの頃に戻ることはもう2度とできない。