思索の庵ー6 メール

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"The hermitage of the speculation"

 「何故か、考えさせられ、そして、安堵し癒されるのだ・・。」 そんなページを目指したい・・・・・・。 

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編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃)
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6 「いのちの詩(うた)」を覗くの巻     12月29日 & 1月25日

幻の天才作家  金子みすず
(本名テル1903.4.11山口県仙崎、生)             

女学校卒業後叔父の経営する本屋を手伝いながら、東京の雑誌に詩を投稿。
悪病に冒されて26才の若さで一女を遺して自ら命を絶つ。


                  
(西条八十から「若き童謡詩人中の巨星」絶賛された。)
大漁


 
朝焼小焼だ 大漁だ

 大羽鰯
(いわし)の  大漁だ

 浜は祭りのようだけど

 海のなかでは 何万の

 鰯のとむらい するだろう。



「はちと神さま」

はちはお花の中に、   
 お花はお庭の中に、    
 お庭は土べいのなかに、  
 土べいは町のなかに、   
 町は日本のなかに、    
 日本は世界のなかに、  
 世界は神様の中に。    

 そうして、そうして、神さまは、   
 小ちゃなはちのなかに。

 


 
誰にもいわずにおきましょう。 

 朝のお庭のすみっこで、   
 花がほろりと泣いたこと。

 もしも噂がひろがって、    
 蜂のお耳にはいったら、

 悪いことでもしたように、    
 密をかえしに行くでしょう。
「はすとにわとり」

どろのなかから    
はすがさく。

それをするのは  
はすじゃない。

たまごのなかから    
とりが出る。

それをするのは  
とりじゃない。

それにわたしは     
気がついた。

それもわたしの  
せいじゃない。

「鯨法会」

鯨法会は春のくれ、     
海に飛魚
(とびうお)(と)れるころ。

浜のお寺で鳴る鐘が、     
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁師が羽織
(はおり)り着て、   
浜のお寺へいそぐとき、

沖で鯨
(くじら)の子がひとり、     
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、   
こいし、こいしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまでひびくやら。

「こぶとり」

正直爺さんこぶがなく、  
なんだか寂しくなりました。

意地悪爺さんこぶがふえ、  
毎日わいわい泣いてます。

正直爺さんお見舞いだ、  
わたしのこぶがついたとは、
やれやれ、ほんとにお気の毒、
も一度一しょにまいりましょ。

山から出てきた二人ずれ、  
正直爺さんこぶ一つ、  
意地悪爺さんこぶ一つ、
二人でにこにこ笑ってた。

「星とたんぽぽ」

 青いお空の底ふかく、        
 海の小石のそのように、    
 夜がくるまで沈んでる、   
 昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、      
   見えぬものでもあるんだよ。     

散ってすがれたたんぽぽの、      
(かわら)のすきに、だァまって、     
春のくるまでかくれてる、   
 つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、      
   見えぬものでもあるんだよ。


    
 「水はうたいます」      ・・・・・・ まど・みちお
  
水はうたいます  川をはしりながら

  海になる日の びょうびょうを

海だった日の

雲になる日の ゆうゆうを

雲だった日の

雨になる日の ざんざかを

雨だった日の ざんざかを

虹になる日の やっほうを

虹だった日の やっほうを

雪や氷になる日の こんこんこんこんを

雪や氷だったになる日の  こんこんこんこんを

水はうたいます 川をはしりながら

  川であるいまのどんどこを

  水である自分のえいえんを



          ・・・・・・ まど・みちお
  




 
   ☆ 『仏の生命を生死する』  道元禅師に学ぶ ☆
一つの水が縁に従って時に液体の姿をとり、      
あるいは雲や虹のような気体の姿と変わり、
または雪や氷という個体の姿となる。

その姿を過去形、未来形と織りなしながら歌い続ける。

 たった一つの水が、                
具体的に雲の形をいただくと、
         始めがあり終わりがある。

 しかし無くなってしまったのではない。          
変わりつつ永遠の命を生きつづけている。

 水からいただいて水に帰る生命、           
どのように変化しようと、水の生命であることに変わりない。

ちょうどそのように、仏の生命が、          
時に花として開き、蝶として舞い、     
あるいは人間の生命として誕生し、
 やがて老い、病み、死んでゆく。

どのように具体的姿は変わろうと、          
たった一つの仏の生命の無限の展開であることに変わりなく、
仏の生命に帰ることに変わりはない。

 これを「南無」といい、「帰命」という。

道元禅師の「悉有
(しつう)は仏性なり」の見方のすばらしさである。
             注:悉有・・・存在するものすべての意
      
      ・・・・・青山俊薫(愛知専門尼僧堂堂主)
 セ ミ

土の中から けさ でてきて  
もう セミが うたえている
ならったことも ない
きいたことも ない

とおい        
そせんの日の うたを
とおい       
そせんの日の ふしで

たいよう ばんざい
   ざいざいざい

たいよう ばんざい
   ざいざいざい


          ・・・・・・ まど・みちお
  
 ア リ

アリを見ると     
アリに たいして
 なんとなく

もうしわけ ありません
  みたいなことに なる

いのちの 大きさは
だれだって
   おんなじなのに

こっちは    
   そのいれものだけが
     こんなに     
     ばかでかくって・・・

          ・・・・・・ まど・みちお
 

地球の用事

ビーズつなぎの     
       手から おちた          
赤い ビーズ  

 指先から ひざへ
ひざから ざぶとんへ
  ざぶとんから たたみへ
ひくい ほうへ
ひくい ほうへと
   かけていって   

たたみの すみの こげあなに
はいって とまった

いわれた とおりの 道を
ちゃんと かけて
いわれた とおりの ところへ
ちゃんと 来ました
       と いうように

いま あんしんした 顔で
光っている

ああ こんなに 小さな
ちびちゃんを
     ここまで 走らせた

地球の 用事は  
なんだったのだろう

          ・・・・・・ まど・みちお
 
 

 追補:    金子みすずの詩 ・・透きとおった純粋さ      
「明るいほうへ」

明るいほうへ     
明るいほうへ。

一つの葉でも    
陽の洩れるとこへ。

やぶかげの草は。   

明るいほうへ   
明るいほうへ。

はねこげよと     
灯のあるとこへ。

夜とぶ虫は。    

明るいほうへ   
明るいほうへ。

一分もひろく     
日のさすとこへ。

都会
(まち)に住む子らは。

「誰が ほんとを」

誰がほんとをいうでしょう。
私のことを、わたしに、
よその小母さんは ほめたけど、
なんだか すこうし笑ってた。

誰がほんとをいうでしょう。
花にきいたら 首ふった。
それもそのはず、花たちは、
みんな あんなにきれいだもの。

誰がほんとをいうでしょう。
小鳥にきいたら逃げちゃった。
きっといけないことなのよ、
だから、言わずに飛んだのよ。

誰がほんとをいうでしょう。
かあさんにきくのは、おかしいし、

(わたしは、かわいい、いい子なの、
それとも、おかしなおかおなの。)

誰がほんとをいうでしょう、
わたしのことを わたしに。

 芝生が 両手を広げて
高く 高く
 太陽に向かって すこしでも
  高く 高く  と
   伸びようとしているように
 生きものは すべて
  明るさを 希求する

 意味がわからないが  ヒトは
「出世」することが    
それだと  考えている
何だろう 「出世」
                ・・・・ 管理人
            「真実一路」 ?

 本当のこと ・・・ 誰が知っているだろうか?
 自分が 自分のことを
  知ろうとして 結局 解らないのに・・・
 
 わかるだろうか 「教えて・」と言われて
  本当のことを
   伝えられるだろうか??

  本当のこと は  誰にもわからないかも ・・・ ?!
                          ・・・・ 管理人
「わらい」

それはきれいな薔薇
(ばら)いろで、
芥子
(けし)つぶよりか ちいさくて、
こぼれて 土に落ちたとき、
ぱっと 花火がはじけるように、
おおきな 花がひらくのよ。

もしも 涙がこぼれるように、
こんな笑いが こぼれたら、
どんなにどんなに、きれいでしょう。


「さびしいとき」

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。

「はだし」


土がくろくて、濡れていて、

はだしの足がきれいだな。

名まえも知らぬ ねえさんが、

鼻緒
(はなお)は すげてくれたけど。




「私と小鳥と鈴と」

私が 両手をひろげても、    
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は 私のように、
地面
(じべた)を速く走れない。

私がからだをゆすっても、    
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は 私のように、
たくさん唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから 私、   
みんなちがって みんないい。
「こだまでしょうか」

「遊
(あす)ぼう」っていうと、
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと、
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと、
「遊ばない」っていう。

「ごめんね」っていうと、
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ誰でも。

「お勘定(かんじょう)

空には雲がいま二つ、   
(みち)には人がいま五人。

ここから学校へゆくまでは、  
五百六十七足あって、
電信柱が九本ある。

私の箱のなんきん玉は、   
二百三十あったけど、
七つはころげてなくなった。

夜のお空のあの星は、   
千と三百五十まで、
かぞえたばかし、まだ知らぬ。

私は勘定が大
(だァい)好き。 
なんでも、勘定するよ。
「王子山」

公園になるので植えられた、
桜はみんな枯れたけど、

(き)られた雑木(ぞうき)の切株にゃ、
みんな芽が出た、芽が伸びた。

(こ)の間(ま)に光る銀の海、
わたしの町はそのなかに、
竜宮
(りゅぐう)みたいに浮かんでる。

銀の瓦と石垣と、
夢のようにも、霞
(かす)んでる。

王子山から町見れば、
わたしは町が好きになる。

干鰮
(ほしか)のにおいもここへは来ない、
わかい芽立ちの香がするばかり。

「お魚」


海のお魚はかわいそう。  

お米は人につくられる、   
牛は牧場で飼われてる、  
鯉もお池で麩
(ふ)をもらう。 

けれども海のお魚は    
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうしてわたしに食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。









「土と草」

母さん知らぬ   
草の子を、
なん千万の   
草の子を、
土はひとりで   
育てます。

草があおあお   
茂ったら、
土はかくれて   
しまうのに。



「雨のあと」  

日かげの葉っぱは     
泣きだした、    
ほろりほろりと  
泣いている。

日向
(ひなた)の葉っぱは   
笑いだす、    
なみだのあとが
もう乾
(かわ)く。

日かげの葉っぱの    
泣きむしに、   
たれか、ハンカチ
貸してやれ。
☆ 仏のように澄んだ童心がある ・・・・「言志耋録」  佐藤一斎 著 に、
                こんな一節があった。
51 幼い時は本心なり

 人は童子(どうし)たる時、全然(ぜんぜん)たる本心なり。
 稍
(やや)長ずるに及びて、私心稍(やや)生ず。
 既
(すで)に成立(せいりつ)すれば、則ち更に世習を夾帯(きょうたい)して、而(しこう)して本心殆(ほとん)ど亡(ほろ)ぶ。

 
故に
此の学を為す者は、当
(まさ)に能く斬然として此の世習を□(衣偏に去)キョ(さ)り、
 以
(もっ)て本心に復すべし。
 是
(こ)れを要(よう)と為(な)す。
                                 
人為童子時。全然本心。及稍長。私心稍生。既成立。則更夾帯世習。而本心殆亡。故為此学者。当能斬然□(衣偏に去)キョ(さる)此世習。以復本心。是為要。
   言志四録(四) 言志耋録  佐藤一斎 著

【訳文】
 人は幼い時は完全に真心をもっている。
 やや長ずるに及ぶと私心が少しずつ起きてくる。
 そして一人前になると、その上さらに世俗の習慣に馴染んで真心を殆ど失ってしまう。

 この故に
 この聖人の学をなす者は、常によくきっぱりとこの世俗の習慣を振り払って、その真心に復帰すべきである。
 このことが最も肝要である。
【付記】
 本文と同一趣旨の
道歌を紹介する。


 「おさな子が

   次第次第に

     智慧づきて

  ほとけに遠く なるぞ悲しき」


                
 川上正光訳注
「土」

こッつんこッつん  
 ぶたれる土は  
よい畠になって
よい麦生むよ。

朝から晩まで   
踏まれる土は
よい路になって
車を通すよ。 

打たぬ土は   
踏まれぬ土は
いらぬ土か。

いえいえそれは  
名のない草の
お宿をするよ。
「ぬかるみ」

この裏まちの     
ぬかるみに   
青いお空が 
ありました。

とおく、とおく、    
うつくしく、   
澄んだお空が
ありました。

この裏まちの     
ぬかるみは、   
深いお空で 
ありました。




 ☆ 覚 和歌子の詩 ☆
   「いつも何度でも」千と千尋の神隠し:主題歌 覚 和歌子

  さよならのときの
       静かな胸
   ゼロになる からだが
         耳をすませる
    生きている不思議
       死んでいく不思議
    花も風も
        街も みんな同じ
   「アプローズ(拍手)」    覚 和歌子

 毎日の 晩ご飯のごちそうに 拍手
 食うや くわずの暮らしは
   ご飯とお新香だけでもおいしくて 拍手
 
 道端の犬のうんこに
      「よくまぁ こんなに出たもんだ」と  拍手

 それをデートの時
    しかも 新しい革靴で踏んづけて
      滅多にできない経験だから 拍手

 生まれてくる赤ん坊に 拍手
 生まれてすぐ死んだ弟に
   わざわざ 苦労しなくってすんでよかったと 拍手

 百歳で死んだおじいちゃんには
   こんな世の中に100年もよく生きたと 拍手

 大天才の芸術作品に オー ブラボー と 拍手
 迷いのつきない芸術家には 長い旅の楽しみに 拍手

 ピチピチと健康な体に 拍手
 抱え込んだ病気には
   乗り越えられる力を 試されていて 拍手

 不治の病には
   たった今生きているという そのことの眩しさに 拍手

 善人は そのまんまで救われて 拍手
 悪人は その罪深さのせいで
     尚のこと救われる余地があって 拍手

 垣根に咲いた
   赤い寒椿の その赤さに  拍手

 枯れ落ちた 赤い寒椿から
     地面にその種がこぼれて 拍手

 「ご案内」