"The hermitage of the speculation"
編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃) |
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15 円空の苛烈な生き方・そして作品 6月2日
資料:「日本の美 荒行の造形 ー 円空仏 ー 1988年放映(NHK TV)
語り:和田 篤 より
2007年・一部を補充
日本人の精神の源流は・・・円空の足どり |
ここにも日本人の”こころ”の源があった。役小角(えんのおずぬ)に始まる山岳信仰と修験者達。
円空(1632〜1695)も、また、修験者であった。
広辞苑には、「江戸前期の僧。美濃の人。中部地方を中心に北海道から近畿に至る各地を遍歴、多数の粗削りの木彫仏像(円空仏と称す)を刻んだ。・・」とあった。
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円空仏は、現代の人々によって再び蘇った。
素朴な円空佛の微笑みが、何かしら私たちに呼びかける。円空は、木っ端に仏の姿を浮かび上がらせた。
苛烈な円空の生き様を通して、このようなほのぼのとした仏達が10万体も産み出された。
日本は、確個とした”日本人”の視座を持って、その上で諸外国と親しく交わりたいものである。
真の国際化が求められる今、今こそ、日本人としての自覚が欲しいものだ。
その上で、正しい方向を若者達に指し示さねばならぬ。
限りなく効率を追求する金本位主義の時代をふり返って、いま、切実にそう思うのである。
そんな時に、何故か見過ごすことのできないのは、・・・・、やはり”円空”のあの苛烈な生き様であろうか。
日本人にしか無い・独特の発想が、この辺りにありそうな気がするのである。
模倣の時代はもう終わったのだ。 ・・ 苦縁讃
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霧・巨木、朝露に濡れた足を止め、円空はその下に立つ。霧が円空を包む。
円空は今一本の木を振り仰ぎその精霊の声を聞く。やがてそこに仏の姿が現れてくる。
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ひたむきに空を目指してたって行く巨木そのままに護法神は立っている。縦に伸びる木目は空に届かんとする木の強固な意志である。だが円空の鑿(のみ)は容赦(ようしゃ)無くそれを切り裂く。 |
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縦と横、二つの力がせめぎ合うその豪快さ。 |
「あびらうんけんそわか」・・・・・・呪文を唱え、円空はひたすら彫り進んで行く。
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円空とは、およそ300年前、一度きりの生涯を12万体造佛と言うおよそ途方もない悲願を捧げた男である。 |
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手のひらにそっとすくい取ってしまいたい、そんな微笑(ほほえ)みがここにある。像の名は牛頭(ごず)天王:本来は地獄の僕卒(ぼくそつ)である。だがこの像の可憐(かれん)さ。円空の鑿はあくまでもやさしい。 |
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深い悲しみを含んだ憤怒(ふんぬ)の乙丸護法神。怒り・微笑み。
今に残る4,500体の円空佛はさまざまに、人を惹(ひ)きつけてやまない。 |
岐阜県丹生川村千光寺、円空がしばしば訪れ鑿をふるったところである。
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写真家:田枝幹宏氏は円空佛の持つ現代的な美しさを世に先駆けて掘り起こした一人である。
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かすかな光の変化にも、円空仏は瞬時に表情を変える。その驚きが魅力の一つだと言う。
大まかに大胆に面を掘り出して行く円空の作品。
両面宿償(すくな)は一つの体に二つのすさまじい憤怒の形相を持っている。
だが、光の角度を変えるとかすかな笑みすら浮かんでくる。
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下は、雨を司(つかさど)る神「八大竜王」高さわずかに16cm。 |
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かつて円空佛の多くは薄暗い片隅に埃を被って眠っていた。 |
荒海を突き破って太田(おおた)権現はそそり立っている。北海道渡島半島の犀星町、300年の昔円空が籠(こ)もった洞窟がある。
垂直に下がった鎖をよじ登る。洞窟に達するには、今も、これより他に方法はない。
北海道から関西まで、生涯像佛の旅に出た円空の、ここが厳しい旅の始まりの地である。
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円空、この時35才。 |
荒海を突き破って太田権現はそそり立っている。 |
300年の昔円空が籠もった洞窟 |
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円空、この時35才である。身も心にも旺盛な心がみなぎっていたに違いない。
だが音と言えば鑿の音だけ、他には遙(はる)かな海鳴りとすさぶ風の音だけ。
悲願のためとはいえ、あまりにも孤独な一途(いちず)な行為である。
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険しい絶壁をよじ登って洞窟に入り込む。 |
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並の人では洞窟にまで昇れない。 |
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だが音と言えば鑿の音だけ、他には遙かな海鳴りとすさぶ風の音だ。
(後に、円空は青森・弘前へ。そして東北を経て・・・、やがて奈良県へ・・・。) |
道術の符 |
これは、岐阜県輿の宮神社に伝わる円空自筆の文書である。 |
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奇妙な護符は病気平癒(へいゆ)を祈願するためのものである。病に応じてさまざまな護符(ごふ)を朱で書き記し、それを呑(の)めと言うのである。
祠(ほこら)に籠(こ)もり造佛に励む傍(かたわ)らで、村人のために加持祈祷(かじきとう)も行った。この文書(もんじょ)は円空が密教の行者であったことを物語っている。
円空は、また、各地の霊山(れいざん)で修行を積む山岳修験者(しゅげんじゃ)でもあった。 |
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この頃、一つの不文の戒律があったと言われる。
諸国を経巡(へめぐ)ること、島に渡ること、加持や祈祷を行うこと、山や洞窟に籠もること、そして、仏像・神像を刻むこと。
円空にとって造佛は荒行(あらぎょう)そのものであった。 |
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善財童子 幾世代たむけの線香に燻(いぶ)された木の肌は金属にも似た光沢を放つ。それでいて木は決して温もりを失わない。円空仏が木の仏であることを自ら祝福しているかのようにふっくらと微笑んでいる。
十一面千手観音 円空にとって、造佛の目的はあくまでも創るという業(ぎょう)自体にあった。 木を割り、鉈(なた)ではつり、鑿(のみ)で彫る。それ以外に求めるものは何もない。だがそうして生まれた仏達が日本の彫刻史に例のない大胆な美を獲得している。何故その様な奇跡が可能だったのだろう。
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三重県志摩 1674年 43才の円空は、この地で大般若経 1,200巻を修復。 |
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経巻の扉に、二ヶ月間に渡って自筆の絵を描き残す。その数およそ180枚。題材はどれも同じ。
しかし、わずか2ヶ月間にその作風は一変する。
おずおずと唯丁寧に描かれたのは第1巻。人物の数も約束事に従っている。
だが、その後絵は急速に省略の度を加えて行く。
そして終わりに近くわずかに描かれた二人の人物の筆遣いにも思い切った省略が見られる。 |
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名古屋市中川区の荒子観音寺に封印されていたものが、1972年に発見された。檜製。 |
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星くずのような小指ほどの仏達である。
円空は、ふつうなら捨ててしまうような木っ端にも一体一体に仏を宿らせたのである。
まるで現代美術の彫刻のようである。
円空は、生涯12万体の仏を彫り上げたと言われている。 |
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その頃(45才頃)、円空は奇妙な仏像を試みている。 |
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現存する4500体の円空佛の中でもこれ程異様な姿の仏はない。省略というならこれ以上の省略はないであろう。
それどころか、途中で投げ出してしまったようにさえ見える。
だが円空にはこれは紛(まぎ)もない完成作である。
円空はこの時変わろうとしている。
この像は、わたしたちを次のような想像に駆り立てる。 |
旅に明け暮れるある日、分け入る林の中で、円空はふと一本の杉の木に心ひかれる。
目を凝らし樹の精霊の語りに耳をそばだてる。生憎(あいにく)なことにその木はひどく捻(ねじ)れていて使えそうにない。
だが、円空がひとたび鑿を入れるとそれはやさしい薬師如来になった。 |
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円空は気づく、ひねりのある木は捻りのままに・・。大きな節(ふし)があればそれを活かして雄大な火炎を作り出せばよい。
円空はもはや木を選ばない。どの木もあるがままの姿で、祝福されてそこにある。
そして気づく、ことさら手を加えなくとも、仏の姿は既に木の中にある。
後は、唯、余計なものを取り去ってその姿を取り出すだけでよいのではないか。 |
ふる里の美濃(みの)の国に初めての像を残して以来十数年、志摩半島にあの絵を描いて一年、円空は尾張の国荒子観音寺(あらこ)に新しい顔を現した。
大胆にデフォルメされた像、丸顔の薬師如来、傷だらけの作業台に彫った仏もある。
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人が新たに作品を生み出そうとするとき、程度の差こそあれあるべき姿を求めて苦悩呻吟(しんぎん)する。それが作品の面にも現れる。
しかし、この時の作品にはためらいの跡はない。
木をにらむ、割る、そして仏の姿を鷲づかみにする。
あるのは爽快(そうかい)なスピード感である。
その数、およそ1,200体である。
円空は、この寺・荒子観音寺に仏達と幸福な時間を過ごしたように想像させる。 |
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木端佛(こっぱぶつ)、円空は誰もが捨てて顧みない木の屑(くず)にも、仏の姿を刻んでいた。
何を笑っているのか、これ程無心の微笑(ほほえ)みはない。
修験者円空の風貌は、先々の村人を恐れさせたに違いない。
だが、仏を造る身のありがたさ。 村人達はやがて円空とうちとける。
余市、ウメ、茂助・・・、木端佛の笑いは、彼ら村人達の笑いであったのかも知れない。 |
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競い合う岩山、折り重なる岩盤、力任せに打ち込まれた鑿(のみ)跡が圧倒的な重量を訴えてくる。
円空にとって仏を創ることは必ず果たすべき業の一つであった。
だが、彫るという行為への熱狂無くして、どうしてこのように長い年月を貫くことが出来たであろう。
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熱狂の時があったことを伺わせる像がある。
深く浅くおびただしい円空の鑿跡が横一文字に重なっている。
円空が槌(つち)で鑿を叩(たた)くたび、一筋一筋刻まれたものである。
よほど堅い木であろうか、鑿は容易には進まない。叩く。跳ね返す。また叩く。
執拗な繰り返しがいつ果てるともなく続いたに違いない。 |
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肩・胸、そして指の一本一本にまで、不動明王は円空の熱狂の証(あか)しを鎧(よろい)のようにまとっている。
人は己(おのれ)以上の存在に負けるとき。必ず熱狂の時を迎(むか)える。
修験者円空も、幾(いく)たびかその熱狂をくぐり、己を開いていったのではないだろうか。 |
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1,020体の仏像がひしめく千面菩薩。
ほとんどが、高さ10cm前後、わずか2cmの仏さえある。
即興(そっきょう)を楽しむ円空。
熱狂の円空。
そして円空は円空になった。
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人はどのような風景の中に、長い旅の区切りをつけようとするのであろうか。 |
岐阜県上宝村。
奥飛騨の山々に幾重にも囲まれたこの村に、円空は記念すべき一体を残している。1690年元禄三年円空は59才であった。 |
像の背に晴れ晴れとこう記されていた。「十マ仏作己(じゅうまぶつつくりおわんぬ)」長い造佛の末、そのときついに十万仏を作り終えたというのであった。
どの像にもまして、その微笑みは柔らかく安らいでみえる。
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台座が似ている 台座を合わせるとぴたりと合う。 本尊の台座に残りの二体がぴたりの乗る。
一本の木から三体の仏を彫ったものである。木を割って像を彫るこれを「きどり」という。
円空は、木取りに卓越(たくえつ)していた。
一本の木を割り、中の少しの無駄を取り去って出来た三尊仏である。(高賀神社)
円空最晩年の傑作(けっさく)だといわれている。
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だが、今に伝わる円空の最後は、その生の姿そのままに苛烈(かれつ)であったという。
岐阜県関市長良川河畔:円空の死を迎えた場所である。
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陰暦7月十五日盂蘭盆(うらぼん)会の日、地面に掘らせた穴に入った円空は、食を断ち鐘(かね)を叩き、念仏を唱えながら絶命したというのであった。
諸国を巡ること、洞窟に籠もること、あたうかぎりの仏像を刻むこと、なお、その上に自ら命を絶つこと、・・・、これが円空の生きた戒律(かいりつ)の、最後の到達であった。 |
そして今、円空は「エンクさま」と親しみを込めて呼ばれ、その仏は木々の間に安らいでいる。
円空が、彫ったばかりの仏を流す。それを拾った里人は、山ごもりの円空に何某(なにがし)かの食べ物を届ける。
これは、岐阜県美並村の伝承である。 |
作りおく この福(さいわい)の
神なれや 深山(みやま)の
奥の草木までもや 円空 |
ひたむきに精神の高みを目指して、一生を荒行に生きた円空であった。
だが、その手から生まれた仏達の、その優しさ・円空仏。
それは日本が木の国であることの幸いを唱っているようだ。
☆ 円空佛の祀られている神社・寺 ☆ |
荒子観音寺<護法~など>(名古屋市中川区)1,200体 高賀神社 千光寺 桂峯寺 清峯寺 清滝寺 八坂神社
林広院 正覚寺 浄名寺<観音像> 秋葉社<秋葉大権現>
有珠善光寺<聖観音座像>(北海道 伊達市)
佐女川神社(北海道木古内町) 栃尾観音堂<護法神・作45歳>(奈良県)
太平寺<十一面観音> 音楽寺<護法~>
立神少林寺<善女竜王像・桜、観音像・桜、護法像>(三重県・志摩市) 等
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円空は、1632年(寛永9年)美濃の国に生まれている。長良川と木曽川に挟まれた
岐阜羽島のあたりであるが、詳しいことは知られていない。
数少ない記録によれば、「美濃の国竹が鼻と言う所の人なり」と記されている。
「幼きより出家し某の寺にありしが二十三にて遁(のが)れ出(いで) 云々」
どんな家に生まれたのか? 何故仏門に入ったのか? 知られていないのである。
哲学者・梅原猛氏は、土地の言い伝えに着目している。
彼は、「円空の故郷では”まつばり子”という伝承がある」という。
「まつばり子」とは、内緒の子、即ち父親のはっきり判らない子だというのだ。
母親に育てられたが、幼いときに母は洪水で亡くなったらしい。
そんな円空は、その後に山籠もりの修行に打ち込んだというのであった。
宗教学者・正木氏は、
「チベット・インド・ネパール・・・・等を踏査したが、このような仏像は見たことがない。何処にもない。
日本でも、見たことがない。おそらく仏教圏のどこにも無いだろう。空前絶後という他はない。
仏像という枠組みから外れているのかも知れない。
ひょっとしたら、それが一番人を感動させているのかも知れない。」と、解説されていた。
「仏像革命 異形の仏」・NHK日曜美術館
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