貴方は人目・ 番目のお客様です。 ようこそ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 慶照寺のこと |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
滋賀県犬上群多賀町、琵琶湖の東・彦根市の東隣にある多賀大社の門前町の中心部・仏教寺院の多い天台宗の古い寺の多い処だ。 ご住職は、伝統ある寺院の仏教を自分の生活の中の事実として味わうことによって、現代人の幸せに役立つように、心を砕いて説法にも日々新 しい工夫を加えて居られる。 ・・・と解説された。 門の横には
住職は、「寺の創建は明らかではない。過去帳は元禄時代のものから遺っている。」 ご住職自身もご自分が「何代目か分からない。寺の三男として生まれたが、兄が亡くなったので後を継いでいる。」と語られた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 講話の内容・・ご紹介 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(1) |
「子どもは大きくなったら 大人になる ・・では、大人は?? 何になるの??」ご住職の著書に |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「子どもは大きくなったら 大人になる ・・では、大人は?? 何になるの??」と、子どもに聴かれたそうですね? と、解説者。 どうも、これは子どもの質問ではないナ。如来様が私に体当たりしたのだ。 この質問は、学問があったろうと、理論があったろうと・・・、そんなモノは吹っ飛んでしまう程である。 これは人間の根底をついてくる問題だ。 ・・・・。 どうやら(これは)子どもの口を借りて、如来が私に体当たりして問いかけたのであった(ようだ)。 人間(存在)の根底をついてきた問題であった。 さて、このことについて・・・
「例えば、『私は金のために生まれてきた。』と言ったものじゃ。」 「あぁそうですか?!そういう風に応えるのですか?!」と、電話を切ろうとしたので、制して「おまえ、金貯まったのか?どうだね?」 「貯まらない!」と。・・・「じゃぁ、何にもならんじゃないか! ・・・・? 二字でも良いぞ!」 「子ども。子どもために生まれてきました。」と、・・・「いい子どもできたかぇ?」 「子どもは反抗するばかり・・・」・・・「じゃぁだめじゃの!?」 「○○の中に、何を入れても落ち着かないだろう?!」・・・と。 正解はないが、「人生」というものを改めて考え直してみなさい。・・・・ということである。 本日の、寺の掲示板には、
住職は、 「寺に参れ!」 と、言えば、・・・「忙しくて参れません。」と、答える。 「何がそんなに忙しい?」 と、問い返せば・・・「喰わなければなりません。」 「喰っとっても死ぬぜ! だいたい、喰い過ぎて死んでいるじゃないか?!」と、・・・・。 ・・・・。 正解を求めるための掲示板と言うよりも、生きていることの意味を自分自身問うてみようという狙いであった。 子供の質問には、そんな意味が含まれていたのであった。 (思えば)・・・こんな会話ができることが、ご住職と門徒の喜びである。・・・と述べられた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「『仏教』は、仏の教えと書くが、子供の口を借りて問いかけ(られ)たその言葉には、・・・、如来様の説いていることは、 ・・・・『おまえは死ぬぞ!それまでどう生きるか?』と、問うているのでしょうか?」・・・と、聞き手。 そうだと思う。 我々は、三つの誓約を仏と交わして生まれてきたと言われている。 ・・・。(ヒトはお互いに、)誓約をした覚えはないが、・・・。 (笑い)
人は人間の顔をしているが、実は(真の)人間ではない(のだ)。
「自己」が、仏によって照らし出されて、 本当の自己に逢うことのできたもの(その時)が、人間の奪還の始まり(だ)。 自分のことはよく分かったつもりで居ても、本当の自分は、(実は)よく分かっていない。 ・・・ということだ。 例えば、 親鸞聖人が、「信ずれば助かる。」と、法然上人のお教えを受け取っている。 そして、これを現代人に分かり易いように言い換えてくださっている僧がいた。 (そう言いながら、以下の注釈を付けられた。)
自分のことは分からない。 人の悪口は、(聞いても言っても)面白い。 (だが)自分の悪口を言われると、本当の事(事実)でも腹が立つ。 そんな自分(の在りよう)を凝視する。・・・それが、「驚く力」だ。 例えれば、 ある日病院に行って驚いた。 内科である。 内科の主治医が、 「内科とは、口で食べてそれを三時間以内に原型が残らないように溶かしてしまって、腸に送って、腸で吸収する。消化/吸収するから、消化器と いうのだ。」と、・・・・。 (そうだ!)「消化とは、食べたものが原形を残さずに無くしてしまうこと」 思えば、これは些細なことである。 だが、しかし、振り返ってみれば、
・・・のである。 一体、どこに(それは)残っているのであろうか?? 何かの縁で、それが吹き返してくる。 そして、やがて腹が立ってくる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2) |
煩悩なるもの |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
例えば、 部下の青年が、縁遠く結婚できないで居た。 その青年が、ある女性と良い仲になって結婚したいと望むようになった。 しかし、なかなか話が進まない。 そのうちに二人は駆け落ちをしてしまった。 (ご住職は、)その時部下が居なくなって、思うように仕事ができないので、二人を捜し出して親たちを説得したり、何やかやと面倒を見た。 やがて、周囲が許す夫婦となった。 3年後に、青年の勤める会社に大学の知人と共に訪れた。 その時に、(住職は)3人で訪れたのに、二人分のお抹茶茶碗しか出さなかった。 (住職は)招いて同行した方に「どうぞお先に!」と、譲った。 自分用のお抹茶は当然後から出されるモノと思い込んでいた。 そこで、「お先に・・」と、言った(同行の人に譲った)が、いつまで経ってもご住職の分は出されなかった。 ついに、 帰り際になって腹が立ってきた。
・・・・と、画面にように、見事な笑顔で述懐された。 「三年(間)の経験が、お茶を出してもらえなかったことのご縁で、吹き出してきた。」と、・・・・。 「思えば、情けない。 さもしい経験であった。 青年からのお礼を、待っている自分が居た。と、・・・・。 何処かで、何時までも礼を言わせたいという自分が居た。」・・・と。 そう言いながら・・ ・
・・・と、紹介された。 これは、 「あの事が、彼奴(あいつ)さえ居なければ・・・、私は苦しむことはないのに!」ということだったのである。 仏教では、「苦(く) 集(しゅう) 滅(めつ) 道(どう) の四諦」の教えがある。 (そこに)苦を集めてしまっている自分が居たのであった。 「徳」を積んだと思い込んで、[苦]を集めてしまっていた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
苦を集める原因は、「渇愛」であろうが、(かように)何時までも自分のしたことが消えない。 (例えば) 家を造り徳を積んだことが、「あいつのためにこんな事をしてやったのに・・」と、・・・。 「この家は、わしが建てた家だ。」 「自分の建てた家にわたしが住むのに何でこんなに苦労しなければならぬか?!」等と、・・・。 思えば思うほどに、家の中が暗くなる。
昔は、(家を)「ワシが建てた。」とは言わなかった。・・・「普請(ふしん)させていただいた。」といった。 普請とは、普(あまね)く請(こ)うて行ったものなのだ。
親鸞聖人も、自分を”まむし”と呼んだ。 蝮(まむし)は、自分の飲んだ水を毒に換えてしまっている。 それならば、思えば[私]は毒であったのである。
それで、爺さんがどうにかしないとどうにもならないと、・・・・・。 自分の家の裏にこじんまりとした老夫婦の別宅を造った。別居となった。 これで何とかいけるであろうと、爺さんは思ったが、おばぁさんが若夫婦の生活を覗き見するようになった。 「今まで、私が住んでいた家はどのようになっているか?」と、・・・。 「今日は何を食べているだろうか?」と、おばぁさんは気になって仕方がない。 おばぁさんは、別居した時以上に悪くなった。 「どうにかならぬか?!」と、別居したがどうにもならなかった。
お爺さんはそれで気がついた。 方向転換することにした。それで、お寺参りを始めた。 五年間お寺に通(かよ)って,話を聞いてみて分かったことがあった。それは、 「わしが若い者とどのような姿勢で対峙していたか?」・・・と考えた。 よく考えてみたら、 「自分が一生懸命に築いてきたこの財産を、若い者たちが全部取ってしまう。」と、・・・。 そんな目で接してきたから、・・・・、「これは大きな間違いであった!」と、思い直した。 やがて、それで、彼は楽になった。 そしたら、不思議なことが起こった。 「自分がそのことに気づいたら、その時から若い者たちが、話し掛けてくるようになった。」と、述べた。 「この頃は、若嫁とも冗談話ができるようになった。」という。
とはこのことであった。と気がついた。 そうしたら、もう一つ問題が生じてきた。 それは、長い年月連れ添ってくれたおばぁさんが可哀想になってきた(のだ)。 ・・・・。 凡夫は、自分の凡夫さに気づくと、そのまま菩薩に変身したわけである。 「私の処に嫁に来て、私の母親という舅に仕えて、仕事ばっかりして、仕事しか知らない!愚痴しか言わない!」 「このおばぁさんを(も)、何とか仏様の世界に入ってほしい。」 「このことを、これからの私の目標にしたい!」と、彼は思い立った。 「ところが、おばぁさん一人を、仏様の前に座らせることは大変なことだった。」と述べた。 朝のお勤めをした後に、「お前もお参りしてこい!」と言っても行かないのだ。 「ろうそくを付けっぱなしにしておいたぞ!」と言ったら、「おや!蝋燭がもったいない!」と、消しに行くことが分かった。 それでも、仏の前に行くだけでも良かろうと思って、毎日毎日、二年間そのようなことを続けた。 お爺さんは、「二年間、欲という根性を、”仏様を参る”というエネルギーに変えて、この頃では一人で参るようになりました。」と述べた。
煩悩の一つに”慢”がある。 この”慢”は、「比量」と言って、お互いに比べる心のことである。 人間は、比べてみなければ喜べない存在である。
家の孫でも、小さい頃は比べるものがなかったから、「末は博士か大臣か?!」と・・・。(やがて成長し)学校に行って(他の児童と)比べると、「なぁんだ!」と言うようなものである。 (それまでは、比較すれば)ひどい家だったが、人に負けたくなかったので改築した。 彼のこれまでの60年の人生は家のため(だったわけだ)。 (彼は)煩悩に使われ(てい)た。 「私がこの家を建てたんだ!」と(自分のしてやったことを)思えば、怒りも涌(わ)いてくる。 (また、)「あの人に比べれば、まだ、私は幸せ!」と、比べて喜んだりもする。 数珠は、108個の煩悩の象徴であるが、108個では扱いにくいので、その数の4分の1とか6分の一にして作られている。 数珠を手にかけて仏の前に出すと言うことは、煩悩を仏に差し出すと言うことなのである。 差し出したらやがて見える。
そして、煩悩から解放されるのである。 苦は、煩悩から・・・・だった。 そして、苦から解放されるのである。 我執が、一切の苦を作っていたことに気づくことになるのである。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
数珠を持って拝むと言うことは、「煩悩の取れない自分であります。」と、仏様に拝んでいるわけである。
煩悩だらけ! どうしようもない自分を、仏様の前に差し出すこと(だ)。 すなわち”バンザイ”なのである。 そして、今、念仏できたことを慶ぶのである。 ”唯念仏” なのである。 幸福を願い仏をお参りしているが、幸福なんぞは「どこかに在る」と思うこと自体がおかしなことなのである。 大山(だいせん)に向かってバス旅行を考えてみる(と)。 大山は、バスの位置によって、ある時には左に見え、ある時には右に見える。また、大山の景色も多様に変化する。 場所を変えて見てみれば・・・。 このように自分の位置を変えてみれば、若い跡取りも、長年連れ添ったばぁさんも、変わった姿に見えるはずなのである。
日々の出来事の中で、口が愚痴を言い、徳を転じて毒に換えてしまっている。思えば、 日々の出来事は、すべて法蔵菩薩のお働きなのである。 ご縁のある人々と、法蔵菩薩と一緒に修行をしているのである。 「鬼ばばぁ」は、私を育ててくれるためのご修行ではないか?! そういう日常の在家の出来事を仏道化していくことが大切である。
「原因があって結果がある」と言うが、今の出来事が、次の結果を生む”縁”になる。 ・・・ 「縁起」(である) 縁によって、また、(別の)違う結果が出てくる。 今の出来事が、次の出来事を生む縁になっている。縁によって違う結果が生じてくる。 仏教では、(このように)変化があるということを説いている。 何が来ても、それを浄土への縁にしていくと言うことが大事だ。 しかし、 「私が・・。私が」と思う”我執"は、なかなか止められない。 止められないから失敗を繰り返す。 失敗の度に、元の自分に返ればよい。戻った瞬間に「私」を捨てればよい。 死ぬまで、それを繰り返せばよいのである。 一度判ったら、「お浄土」の世界を覗かせてもらえる。一法界を瞬間見せてもらえる。 しかし、すぐに忘れる。(だが、)忘れても良いのだ。一瞬の”滅”を見たのだ。 その瞬間に、お浄土に自分の国籍ができたのである。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒトは二重国籍なのである。 お念仏の浄土の国籍と娑婆の苦界の国籍(である)。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浄土の国籍を持たない者は、何時までも年を取れば取るほど愚痴を言って歩かなければならない。 浄土に国籍があれば、浄土にすぐに帰ることができるのだ。 この世で念仏を一言申す度に、あの世に蓮の花が一本ずつ咲くのである。 煩悩に引きずり回されて喜んでいる居る人も、これは一つの修行であろう。 (それを)「修行中だ。」と思えると,どのような出来事がきても、それはそれで受け止めていける。 「(人生、どうにかしよう。)どうにかならぬと困る」と思う心の在り方とは違うところで生きている。 それを緒仏の世界に生まれるというのである。 緒仏の世界に生まれるということは、先の喩えのように、「おばぁさんが気の毒だ?」の心境である。 「あの人にもこの喜びを味わってもらいたい。」という世界に生まれるということである。 そこには、他者にも分かちたいほどの喜びがあるのである。 この辺りは雪の多いところである。 おなじ雪が積もる。その下での出来事を眺めると・・・
雪は冷たいものであるが、芽の出て来るものにとっては、(単に)冷たい押さえつけていたモノではないのであった。 雪は、寒さから身を守ってくれているフトンであったのだ。私を押さえつけていた雪は、実は優しい布団であったのであった。 知らずに、”苦しみ 苦しみ"と言って嘆いているが、布団であったのである。 (いのちは)みんなフトンに守られているのである。 娑婆(しゃば)では、冷たい雪を取ろうとしている。 雪を、(そのまま)重たいと思っている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3) | 煩悩という名の殻(から)磨き | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草や木の方が、ヒトより余程ましである。 草木は、時期が来たら花を咲かせ、実を成らせる。 人は、花が咲いただろうか? 何か実らせたろうか? 何一つ実らさずに、終わっていく人が多い。 人間が人間になるのには、どうしたらよいのだろうか? 皆、働く煩悩が消えないで、(そのまま)持っている。
そこが、卵がひよこになるかどうかの分かれ道があるということである。 ひよこは、21日でひよこになる。(観察すると)18日辺りで目(眼球)が見えるようになろう。 殻が身を包んでいる。 (しかし、)この殻がなければここまで生きてこられなかった。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人間は、殻ばかりを磨いていて、自我を磨くことを怠っている。 自我を磨いて、その延長に幸せを得ようとすることが大事なことである。 喩え話:
結論、足下の水を澄ませ。水が澄めば、天空の月はその水に影を映すはずである。
「どうしても自我が取れない」と、懺悔すると根底に至る。そこではじめて如来が見えてくる。 すると、釈迦や親鸞等の聖人と同胞であるという光栄を見ることが可能になる。 想いだけで生きてはならない。想いと事実が違っている。 人は、想いと現実が違って苦しんでいる。「ひとりの想い」だけが一人歩きする。 事実に目が向かない。 「こんなこと!何かの間違いだ!」と思うものである。 「思いもよらぬことになった!」と言う人が居るが、一体(世の中)思いのままになるのであろうか? 事実を(そのまま)受け止めていく以外にないのである。 それによって、仏の計らいをそのまま取り上げることができるのである。 人の知恵を捨て去って、仏の世界にとり入れていただく以外はないのだ。
「お運びのままに」 こころの時代 より 1996年11月10放送
仏の世界の存在に、気づかせて頂くのである。 ・・・・・と、如是我聞 也。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
録画を繰り返し鑑賞させていただいている。 ある日の早朝、目が覚めて繰り返して観ていて、こう考えた。 「この松原泰道さんは、昨年、お亡くなりになった。 ・・が、このご住職は、未だにご存命だ。」 「さほど遠くではない!」 ・・と、小雨の降る日であったが、そう思うとフッとお寺に詣でたくなった。車を走らせた。 お寺について、しばらく佇んで合掌。 躊躇ったが、玄関を開けて声をかけてみた。 女性の声が帰ってきた。 そこで、引き戸の手をかけたまま、ここにいる事情をお話しした。 「どうぞどうぞ ! ご自由にお堂に入ってお参りください。」と言ってくださった。 ・・・・。 一人で、仏像の前で小声で経を唱えて、謝意を述べて帰ろうとした。 ・・・すると、居間から声をかけていただけた。 「丁度、いまここに居りますので、・・・。」と、促された。 **** ご縁があって、住職様と合うことができた。 終始奥様も一緒にお見えであった。 無くなりかけると、美味しいお茶を注いでくださった。 お昼には、上等な昼食までご馳走になった。 在家の一般信者に対して、かくも心のこもったおもてなしを戴けるとは・・・、感動的な驚きであった。 心地よい充実感を頂いて、帰った。 これが”至誠心”であろうか?? その後、妻と再び寺に詣でた。 じっくりお話もさせていただき、再び、ご馳走になり、帰りには数珠と著作の本を二冊戴いた。 m(_ _)m ・・・ 苦縁讃 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|