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東京国立博物館副館長 金子啓明氏の解説による |
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「樹に対して、聖なるものを見る。と言う意識が根底に流れていて、それを吸い上げるような・そこに入り込むような・・・そんな気持ちで仏像を造ったのではないかと思われる。
樹の姿をそのまま留めようとしたり、割れたら割れた姿をそのままそこに・・と、偶然にできる形をそこに遺そうとした。
これまでの彫刻には出てこなかった形である。”自然崇拝”である。
万葉の時代には、樹には特別な意味合いがあった。
樹からエネルギーを頂くとか、生命の力を頂く・・場合によっては病気を治して頂くなど。
古代には『魂(たま)ふり』と言う言葉で表し信仰の対象であった。
神は樹に宿る。
樹は、神様の寄り代(しろ)となるといわれ、神の宿った樹には一層の力があるとされていた。
神木・霊木を大切にする習わしがあった。
そういうもので仏像を造るというのは、ずっと以前から行われてきたようであった。」
(東京都立博物館副館長 金子啓明氏) |
○ 地蔵菩薩立像 奈良・融念寺・・・・・(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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波打つ衣紋(えもん)の豊かな表情、肩幅の広い堂々とした体からは大木の重量感が伝わってくる。
一木の造形から気の強い生命力を感じる。 |
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○ 四天王 立像 島根・大寺(おおてら)薬師 (注:画像をクリックすると大きくなります。) |
伝広目天 |
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木の仏の細部に注目すると不思議な点に気づく。
決して美しくない木の部分が用いられているのだ。
自然にできた空洞「洞(うろ)」が、足下に残されている。しかも、木目を整えず、荒れたそのままにしてある。
そしてこの像が安置されている寺には、更に驚くべき仏像があるのである。 |
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島根・大寺(おおてら)薬師:この寺に伝わる数多くの木彫仏の中に、ひときわ異様な姿をしている観音菩薩像がある。
まるで傷跡のように胸の上を鋭く走る木の捻れ。後ろに回ると、おしりには大きな木の節がそのまま残ってて居る。
それにしても、なぜ、このような木を使ってこのような仏像が造られたのであろうか?
この像の膝の辺りにも大きな節があるのである。
京都の仏師・江里康慧(こうけい)さんはいう。
「もし、私がこれと同じ大きさの仏像を造るとしたら、これほど大きな節が在る材は選ばない。
敢えてこのような木を用いたというのは、この木は何か特別な木ではなかったのか?と思う。 神が宿ると思ってこの樹を使ったと思われる。」
節や捻れは、「神木」であることの証。
一見異様に見える仏像は、樹の聖なる印を残そうとした物であったのだ。
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神木・霊木として奉られた樹には、特別な力が宿るとされていた。
やがて、その樹の持つ力をそのまま伝えようとするかのような霊威に満ちた仏像が現れるようになった。 |
○ 薬師如来立像 京都・神護寺(しんごじ)の本尊 (注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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真言を極めた表情、すべてを見抜く鋭い眼差し、その圧倒的な威圧感、和気清麻呂が道鏡の怨霊を封じ込めるために奉ったと言われるのも頷ける。
霊木が持つ強大な力がみなぎっているかのようだ。 |
○ 出雲市 大薬師寺 (注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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○ 地蔵菩薩立像 奈良・秋篠寺(あきしのでら) (注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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への字に曲げた口、対面すると思わずたじろいでしまう程の眼力、手のひらからもその霊力がひしひしと伝わってくる。
かわいらしい童子の姿で表されるお地蔵さんの姿は、ここにはない。
この寺は、桓武天皇の弟の怨霊を封じ込め役割を果たしていたとも言われている。
この表情でにらまれれれば、怨霊も退散せざるを得なかったに違いないと思われる。 |
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○ 十一面観音立像 和歌山・慈光円福院(えんぷくいん)
(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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笑みをたたえているというか、何かを見据えている感じである。
何かを言いたげな口。
この立像も一木で造った物である。
一本の木が持つ力・霊力を活かすために使われた。
髪の毛や体から離れた部分も一本の木から造られている。 |
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霊威性があり、慈悲深い優しさは見えない。
十一面観音立像は、通常、もっと優しい優雅な雰囲気なものであると思われている。
(寄せ木造りは、平安時代中期以降に広まった方法である。穏やかな面立ちで京都の貴族たちの極楽浄土指向を叶えるための仏像がこの方法によって多く造られた。) |
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平安時代中頃以降も都の寄せ木造りの仏像とは対照的に、地方では樹の力と仏像の結びつきが深まっていった。 |
○ 立木観音 茨城県・峰寺山(みねてらさん)(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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中腹に建つ西光院(さいこういん) 高さ5mを超える観音像。
人々の信仰を集めていたに違いない山の上の巨木。
そこへ直に彫り込んで造られた、樹そのものと言った仏像である。
大地に根ざした木の信仰と一木の仏が結びついた地方では、更に独特の表現が生み出されていった。 |
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○ 十一面観音菩薩立像 神奈川県・弘明寺(ぐみょうじ)(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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平安時代・11世紀 像高180・7cm
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穏やかな表情の観音様。
しかし、そこには鑿(のみ)目がびっしり。
顔だけではなく体の隅々まで、指先までびっしりと細かな鑿目が残っている。 |
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こうした、鑿跡を残す彫り方は「鉈(なた)彫り像」と言われている。奈良や京都にはなく東日本に多く見られる。
そして、不思議なことに背中には鑿跡が見られない。
「鉈(なた)彫り像」は、鉈彫り制作の途中を連想させることなどから、「手抜き」「失敗作」「未完成」等と言われることもあった。
しかし、仏師の江里しは、それを否定する。
「意図的にあのような鑿跡を残したと思われる。見えない背中の部分を省略すると言うことはあり得ない。鑿跡を残したまま”開眼”が行われている。
これは、鑿跡を残したままの状態でもって”完成”としたと思われる。
仏像を造る場合。見えるところだけを丁寧に手を入れて、見えない背中の部分を省略すると言うことはあり得ない。
仏というのは、裏表のない”四方正面”の心が表されるのである。鑿後は略されたのではなく、今、姿を現そうとして、表しきれない状況を表現したものであると思う。」
鑿跡は、樹から仏様が化現(けげん)=仏が姿を変えて現れる=する様を表したものだと思われる。
制作過程を思わす鑿目を敢えて残すことにより、これから仏が現れる軌跡を表現したものが、「鉈(なた)彫り像」であった。 |
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○ 聖観音菩薩立像 千葉県・蓮蔵院 (注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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○ 薬師如来および両脇侍像 神奈川県・宝城坊(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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上記の二つともはげしい鑿目がある。
・・が、ここの中央の薬師如来像は、お腹の辺りから胸にかけて鑿目がない。
顔は完全になめらかに清められている。より尊い如来が脇の二仏より先に姿を現す。
ここでは鑿目の付け方によって、時間差まで表現しているのである。(平安時代・10世紀 像高中尊116.6cm、左脇侍123.3cm、右脇侍123.9cm)
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○ 聖(しょう)観音菩薩立像 岩手県・二戸(にのへ)市・天台寺 |
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鉈彫り像を奉る寺としては最北端である。
奥州観音霊場の33番札所でもあり、古来、神のいます寺として信仰を集めてきた。
聖(しょう)観音菩薩立像:鉈彫り像の最高傑作である。横方向に規則的に整えられた鑿目が、優雅な美しさを醸し出している。
もう、化現(けげん)し始めていることを、滑らかな顔が示している。 |
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この像は桂の木の一木から彫り出されている。
ここには、この土地ならではの樹への信仰があった。
参道脇にあるこの桂の大木と、根本から滾々とわき出る清水。昔から人々はこの霊木と霊泉に祈りを捧げてきた。 |
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本尊の鉈彫り像は「桂泉(けいせん)観音」とも呼ばれ、天台寺山中にある桂の霊木から彫り出されたと言われている。
寺に奉られたほかの仏像も、すべて桂の木から造られている。
如何にこの土地の桂への信仰が強かったかが伺われる。
数多くの仏像の中、敢えてこの鑿目を持つ像を本尊として、人々は手を合わせてきた。
聖なる樹から仏が現れ出る化現の神秘。
ナタホリ像には人々の樹への思いが深く込められているのである。 |
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○ 宝誌和尚立像 京都・西往寺 鉈彫り像の代表的な一つの傑作。(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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高貴な気品を満たしている。
中国の5〜6世紀のホウシ和尚。
小さいときから神通力があると言うことで名をはせていた。
凌の武帝という皇帝がこの和尚を描かせようとしたところ、和尚は顔を半分に裂いて中から十一面観音が現れた。
鉈彫りの化現性と仏像の人間性、この両方を表現している。
和尚の顔、そして、中から現れる十一面観音。両方共に鑿目がある。
時間の経過が音と共に表現されているように感じられる。 |
□ 地方に鉈彫り像が多いのはなぜか?
大地に根ざした樹への信仰や現世利益への信仰・願望が鉈彫り像を生み出したと思われる |
◇ 江戸時代の書物 「近世畸(き)人伝」・・・
円空(造仏聖)ぞうぶつひじり
そこに大木にむかって像を刻み込む僧の姿が描かれている。
全国を回って12万体の像を造ったと言われる円空。
山岳修験者であった円空は、修行の要を仏像造りに置く造仏聖であった。 |
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○ 観音菩薩像 愛知県西尾市・浄明寺 円空が、直接立木に掘ったと言われる |
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掘った後切り離されたと見られるこの像は、およそ3m。
元の樹の姿をそのまま造形に活かしている。 |
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○ 十一面観音菩薩像 岐阜県・高賀(こうか)神社(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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これら3体を内向きに合わせるとぴったりとくっつく。
円空は、これらを唯1本の木から造っていた。 |
穏やかな笑みをたたえた十一面観音菩薩像。
江戸時代・17世紀
像高 中尊221.2cm、
善女龍王立像175.6cm、
善財童子立像174.6cm
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善女龍王(ぜんにょりゅうおう)立像 ・・・ 雨を降らすと言われる
ぐんぐんと天に昇る樹の勢いを伝えるかのような、善財童子立像。 |
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○ 不動明王及び二童子立像 栃木県・清龍寺(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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円空が一度斧をふるうと、一本の木の断面が不動明王となって燃え上がるのだ。 |
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この地、日光も修行の場であった。心身を絶えず山の息吹に晒すことで、研ぎ澄まされる感覚。 円空はその土地土地から仏の姿を彫りだしていったのである。 |
○ 千体地蔵 愛知県津島市・商店街の一角(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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中央の地蔵の高さはおよそ20cm。
その周りを5cmほどの地蔵が1008体が囲む。
円空は、木っ端の一つ一つにも仏が宿るとした。
普通なうち打ち捨てるこれら一つ一つに仏を刻んだ。 |
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◇ 木喰(1718〜1810) 江戸時代後期に現れた造仏聖 ◇
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木喰は享和3年(1803)から2年半、越後に滞在して230体ほどの像を造りました。
86歳の木喰は、享和3年8月1日から24日までの間に、小栗山観音堂(小千谷市)の中尊如意輪観音像と32体の観音像、行基菩薩・大黒天像を造立。
これらは公孫樹(いちょう)の大木から造ったと伝えられます。
翌年6月9日から7月13日には宝生寺(長岡市)に三十三観音像(高90cm前後)、引き続き7月14日から 8月15日は金毘羅堂(長岡市)に三十四観音像(高65〜75cm)を完成させました。
この3つの堂あわせて百観音、すなわち西国・坂東・秩父の観音霊場を再現したのです。 ・・・・ 東京国立博物館 解説 |
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木喰 |
五穀を絶ち全国を遊行した僧で、微笑みをたたえ丸みを帯びた像を数多く残したことで知られている。彼もまた、一本の木から仏の姿を彫り出した。 |
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○ 子安観音菩薩座像(立木仏) 愛媛県・光明寺(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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地面から生えている槙(まき)の樹に直接刻んだものである。
自然できていた樹の洞を利用して、観音菩薩を巧みに彫り出している。
子供を抱いた観音様をすっぽりと包み込む樹の暖かさ。 |
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○ 立木薬師如来像 山口県萩市 願行寺(がんぎょうじ)
(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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山里にひっそりとたたずむこの寺に、木喰が彫った立木仏が、今も当初の姿のまま遺されている。境内にそびえる大きな茅(かや)の樹である。
今(2006年)から200年ほど前の冬の日、ここに80歳の僧が訪れ薬師如来の姿を彫り出した。
昔から、この像には不思議な言い伝えがある。
薬師如来の口に竹筒を当てて耳を澄ますと仏の声が聞こえ、耳の病気が治るというのである。
そのことから「耳の薬師様」と呼ばれ親しまれている。
(注:画像をクリックすると大きくなります。) |
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人々の切実な願いを叶えてきた「耳の薬師様」。
聞こえてきたのは、聖なるものの命の音。
樹に宿った仏は、今も人々の暮らしを見守っている。 |
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○ 薬師如来および両脇侍立像 十二神将立像 埼玉県・薬王寺 |
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奈良時代の樹に対する人々の考え方は、江戸時代以降もずっとつながって流れている。 |
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