☆寄 稿 
(遺稿集 「炎のごとく、水のごとく」 出版に際して寄せられたものです、平成2年4月)


【1】 最高に親しかった柴田秀利君 … 竹田恒徳氏(元竹田宮)より


 雲の上という特別な境遇に育った上に、軍国主義が華やかだった戦前には特別な世界であった帝国陸軍の軍人としてご奉公をしていた私と、普通の平民の家の出身で、リベラリストが多いーーと言われていた新聞記者を生業としていた柴田秀利君とは、全く正反対と言ってもよい様な立場の二人であったのに、どうして真底から信頼し合う最高の親友になったのか?不思議に思われる方も多かろうと思うので、二人が親しくなった経緯を次に記します。

 我々二人のそもそもの出会いが何時・どういう場合であったかは全く思い出せませんが、恐らく新聞記者としての柴田君が、何かのことで私にインタビューに来た時が初めての出会いであった様に思うのです。

 ところで、私は終戦という非常事態に際して、一般の人がどういう気持ちでいるかという心の中までを、何んとかしてよく知りたいと強く思ったのでしたが、前に述べた様な特別な身分に当時あった私は、一般世間の人々と自由に付合うことが難しかったので一人で心配をしていたのでした。

 ところが柴田君は新聞記者という立場から当然のことながら世間の人々の心の中までをよく知り尽くしていたばかりでなく、彼の明晰な頭脳でそれを分析した世の中の真底までのことを、ズバリと率直に話してくれることが、私にとってとても貴重なことでありました。

 その反対に柴田君から見た私がどうであったろうかと想像しますと、どうしてか元来真底から天皇崇拝に徹していたと私には思われていた柴田君にとって、皇族の一員であった私の体験から話す皇室内のことに特に深い関心を持った様でした。それとこれとが、我々二人を特別に親しい仲にした始まりであった様に思うのです。そして二人はその後会う機会が重なるにつれて、次第に強く結ばれ、遂に最高の親友にまでなったのでありました。

 ところが柴田君がかくも早く逝ってしまうとは!! 何んとも残念至極で、今でも諦め切れません。しかしこの度柴田未亡人がこの本を出版されたことは本当に嬉しいことで、未亡人のご努力に対して心から深く敬意を表しますと共に、その希望にお応えして、柴田君についての私の心の中をその侭書いたのがこの拙い一文であります。


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